現代アートの子供心。

食べ歩き ,

現代アートの魅力は、それぞれの人によって感じる余白を生むことだと思う。
この料理もまた、受け取る側の経験値や生き様によって、味わいが違ってくるのではないだろうか。
「オステリア・フランチェスカーナ」のマッシモ ・ボットゥーラの手による、「ビューティフル・サイケデリック」という料理である。
ダミアン・ハーストのスピンペイントへのオマージュの一皿とされた、黒毛和牛を、フライパンやグリルなどの火を使わずに、 野菜の灰を肉の表面にブラッシングして加熱し、やわらかく、炭火で焼いたような香りと味わいをまとわせた一皿である。
客席の前にテーブルが置かれ、次々と肉を乗せた皿が運ばれる。
マッシモ本人とスーシェフたちが、様々なソースを流していく。
カラフルなオレンジと黄色のパプリカ、赤ビーツのソース、 じゃがいものクレーマにモデナ産の「ヴィラ・マノドーリアルティジャナーレ」 の熟成バルサミコ酢という5種類の絵具を使って、アートを描く。
一皿一皿に違い、それはうまく描こうなどという写真を捨て、子供の手で描かれたかのような、自由があった。
肉はなんともしなやかで、噛めば滋味がゆっくりと溢れ出す。
炭火焼のような香りがそこへ漂って、気分を高めていく。
そしてつけるソースの違いや調和が、様々な感動を呼び起こす。
食べる側も子供の遊びのように、ソースを一つずつ試したり、混ぜたりしながら、無邪気に楽しんだ。
だが半分くらい食べ終わった時に、新しい一皿が運ばれた。
運んできた人が言うには、
「食べる前に通訳と話されていたのをマッシモが見ていて、冷めたのだろうと新しい熱々の皿を持って行きなさい」と、言ったのだいう。
確かに熱いソースと肉は、さらなる喜びを増幅させてくれた。
そして食べ終わった途端、なんともう一皿運ばれたのである。
肉の上には、トリュフとウニが乗っていて、ソースの具合もやや違っている。
運んできたシェフがいうには、厨房でマッシモが突然思いついて、新たな仕立てで作ったのだと言う。
美しい。
だが牛肉にウニと、やや気が萎えた。
食べてみるとどうだろう。
瀬戸内海のウニの質は優しく、あまり主張しないため、その静かな甘みが、トリュフや牛肉と抱き合うではないか。
たっぷりとかけられたジャガイモのクレーマの甘みが、三者をうまくつなぎ合わせている。
食べ終わると、マッシモ が来て、得意げに説明した。
「ロッシーニ風を、日本的に表現したんだ」と。
ウニやトリュフ、和牛という高級食材を組み合わせた料理だったが、そこに料理人のエゴはなかった。
まさに幼児のように楽しく、てらいなく、料理を作るマッシモの精神があった。
(お腹パンパンにはなったけどね)。