「89」と書いて

食べ歩き ,

「89」と書いて「やぐ」と読む。 
ここ鶴岡に、現役最高年齢女性バーテンダー、77歳の矢口孝子がさんがいらっしゃる。 
「店を始めて46年、主人が亡くなったのが19年前。主人よりこの仕事が長くなってしまいました」と、笑う。
マイルスのマイファニーバレンタインが流れる中、カウンターの中には矢口さん一人。 
ブルーのストライプオックスフォードBDシャツに紺の蝶ネクタイを絞め 
赤いエプロンがきれいに映える。 
白髪のショートヘアーに柔和な笑顔が素敵な、かわいい人だ。
「いらっしゃいませ」。人懐っこい笑顔が、外の寒さを吹き飛ばす。 
「さて、なにをお上げしたらよろしいかしら」。 
多少しわがれてはいるが若々しい。 律儀な口調に品が漂う。
「マティーニを」というと
「ハイ、マティニですね。このカクテルは、飲む時間制限があるけどいいですか?」と、返された。 
ステアしたマティーニを、グラスになみなみと注いで、。
「お口からお迎えしてください」。と差し出してくれる。
「いつもヒマでしょ。だからその時は折り紙をしているの」。
そういって、鮮やかに折られた六角形の箱と、紙の駒を見せてくれ、「どれでもお好きなのをどうぞ」と、帰り際に包んでくれた。
今目の前に、矢口さんの折った色紙箱がぽつねんとある。
殺風景なビジネスホテルに、豊かな色彩が温かみを与えてくれる。
箱を見つめながら、暗いバーで、一人黙々と折り紙を折る、矢口さんの姿を思い浮かべた。