柳川とご飯を頼むべきか。
柳川丼をかき込むべきか。
吾妻橋「どぜう ひら井」で散々悩んだあげく、ここは切り上げて,蕎麦屋に足を伸ばすことにした。
近くの「吾妻端藪」は休みゆえ、選択は一つしかない。
「並木薮」である。
大正2年、かんだやぶそばの初代・堀田七兵衛の三男・堀田勝三が創業した。
藪系列は、「砂場」、「更級」と並ぶ,江戸三大蕎麦屋系列の一つで、元々は江戸時代に創業した、豊島区雑司ヶ谷、鬼子母神にあった愛称「藪蕎麦」が発祥とする。
数ある藪の中でも,ここが一番という人が多い。
店内や料理に貫かれた、余分なものを削ぎ落とした哲学に、豊かさを感じさせられるからだろう。
藍色に白字を抜いた、生成りの暖簾をくぐり、戸を開ける。
玉石を配した三和土の左は、入れ込み式の座敷、右はテーブル席である。
割烹着に白頭巾姿の,年配女性仲居さんたちの、てきぱきとした、心配りのある接客が、いつ来ても心地よい。
20数席のうち半分は,外国人客だった。
しかしいつ来ても江戸の気風を感じるのは,接客によるものかもしれない。
メニューも見ず、座るなり、「焼き海苔と板わさに、燗酒をください」と、頼む。
木袴に納められた白徳利と猪口、蕎麦味噌が運ばれる。
酒は菊正の樽酒、老舗は豊島屋酒店の活躍で、ほとんどが下り酒である菊正が置かれている。
こちらの「板わさ」は、質もさることながら、厚さがいい。
以上でも以下でもなく,噛んだ時に,歯がムチっと包まれ、蒲鉾の淡い甘みが滲み出る厚さなのであった。
一見素っ気ないが、心がこもった、適切な厚さなのである。
板わさは、「こんちきしょう、来やがった」と思うほど、わさびをたっぷりつけて、醤油をちょん。
酒ぐびり。
ああ、幸せだなあ。
さて焼き海苔はどう食べよう。
普通の方なら、上から食べると思うが,僕は温められて香りが高まった、一番下の海苔を引き出す。
海苔の表にわさびを乗せ、箸の先で醤油をつけ、その表面に数滴垂らす。
しかる後半分に折って、裏面を表にして食べる。
散々試した結果、この方法にたどり着いた。
そばはます「ざるそば」からいく。
辛汁を蕎麦猪口に少し入れ、持ち上げた蕎麦の、下四分の1ほどを漬けて、ずすーっとたぐる。
ずすぅっー。ずすぅっー。
向こう三軒両隣に聞こえるくらい、威勢よくたぐる。
蕎麦の青い香りが喉にぶつかって鼻に抜け、「並木薮」特有の濃いつゆが舌を濡らす。
わさびもネギもつゆに入れない。
蕎麦湯を入れた時に、薬味として使う。
男なら、6〜8回たぐればなくなるだろう。
僕は6回を目指している。
次に種物である。
この日は「花巻」にした。
海苔かけ蕎麦である。
海苔は磯の花であることから名付けられた蕎麦であるが、こうした江戸の言葉遊びか身に染みる。
食べ物を楽しもう,ことさら愛そうとした人々の情愛が染みる。
「花巻蕎麦」は、蓋付きで運ばれる。
温かい種蕎麦で蓋付きなのは,この蕎麦だけであろう。
丼を手前に寄せ、蓋をゆっくりと開ける。
解き放たれた磯の香りが,顔を包む。
頭の中に、波しぶきが舞う。
「花巻」には,たっぷりとおろしわさびが添えられる。
海苔とわさびが仲むつまじいのは、ご存知の通り。
だが,わさびを乗せて、溶くことはしない。
わさびの香りがつゆの香りに負けて、効かなくなってしまうからである。
少しずつ乗せては、そこだけをたぐる。
あるいは丼の淵に落として、つゆをすすってから、蕎麦をたぐるのもいい。
わさびの吸い口である。
蕎麦を食べ終わると、
溶けた海苔がつゆを覆って,真っ黒となっている。
ぼくは、こいつを肴にして、また燗酒を決めるのである。