シリーズ<いい店とは会いたい人がいる店である>

食べ歩き ,

<いい店とは会いたい人がいる店である>
虎ノ門には美味しい昼食が溢れている。
しかしつい足が向いてしまうのが、「とらのもん」という洋食屋である。
特に珍しい料理はない。
店は古ぼけていて、昭和の匂いが漂っている。
こんな事を言っては失礼だが、特に洋食として味が抜きん出ているわけではない。
しかしここに足が向いてしまうのは、マダムに会いたいからである。
御年70代後半だろう。
その日もいらっしゃった。
「チキンカツ」を頼むと、厨房内のご主人に向かって注文を通す。
「申し訳ございません。チキンカツを一つ頂いております」。
いつも言葉遣いが、やたら丁寧なのである。
ただ丁寧だけでないく、品が漂っているので、心地よい。
先にカップスープが運ばれた。
「チキンカツ承りました。もう少しお待ちくださいませ。スープだけ先に置かさせていただきます」。
そう言ってスープを置いていく。
昼はミックスランチという、ハンバークとアジフライ、コロッケがついたメニュー900円がある。
これを頼む人が多いが、運ぶとマダムは必ず言う。
ご飯を指差し、「これは全国のお米のミックスですから、この御飯だけで900円です。こちらの料理は香りを嗅ぐだけで、手をつけたら9千円になります。お持ち合わせがない場合は,向かいがコンビニですからおろしてきてください」。
皆面食らいながら笑う。
隣の女性には
「お袖が長いですからお気をつけてくださいませ」と、気遣いを見せる。
一人若い女性が帰ろうとしてコートを着る時、バックを床に置いた。
すると
「お嬢様、バッグを床に置いてはいけませんよ」と、実に柔らかい声でたしなめる。
チキンカツを食べた僕は、お支払をし、出ようとした。
すると彼女から声がかかった
「外は寒いですから,お着物を羽織ってから、お出になってくださいね」。
ああ、また来てしまうな。