その人は、いつもいる。
老舗蕎麦屋の奥の、決まった席に、いつも座っている。
夏は藍色の作務衣、冬は丁子色の作務衣を着て、左太ももには季節の手ぬぐいをかけている。
70歳くらいだろうか。
泰然自若として、自宅の縁側で呑んでいるかの自然体で、時と客の愛着が染み込んだ店内に、すっと馴染んでいた。
飲む姿は、流麗で、淀みなく、踊りの名人のようでもある。
そこにいていぬような心配りが、息をするように成り立っていて、これこそ飲兵衛の極地であろう。
店開けに入り、きっかり二時間で出ていく。
蕎麦は食べない。
つけなのか、勘定もせずに、すっと立って、何も言わずに去っていく。
表情も、一切変えることはない。
先日は、店内に欧米人の三人組がいた。
三人は頼んだ蕎麦を上手な箸使いで、幸せそうな顔をして食べていた。
それを見ながら彼は、小さく頷くと、にこりと微笑んだ。