マカジキの握りは、切ない。
最近は見かけないが、昔の寿司屋には、必ず置かれていた。
タネがずらりと書かれた中に、「つきんぼう」と、書かれていた店もあった。
漁師が船の先端に立と、カジキの目を狙って長いモリで一突きにして仕留める漁法から名付けられた。
初めていただいたのは、日本橋の今はなき「千八鮨」だった。
久しぶりに出会ったマカジキの握りである。
前から握りたくて、今日は特別に仕入れたのだという。
若い岡崎さんの横顔を見ながら思う。
今はどこへ行っても同じ種が出されるが、こういう若い鮨職人が増えてきたらいいな。
マカジキの握りは、もう、置かれた瞬間から惚れてしまう、
艶を帯びた黄丹色の肢体を輝かせながら、自慢げに佇んでいる。
口に運ぶ。
その瞬間マカジキは、ムースのようにしなやかに崩れて、酢飯と舞った。
上品な脂が舌を抱きしめる。
微かに酸味を漂わせながら、優しい甘みが流れていく。
それはもう色気以外のなにもでもない。
奥底に勇猛なマカジキのたくましさを隠しながら、艶を滲ませる。
顔をのけぞらせ、「うーん」とうなったまま動けない。
だがそれはまだ、終わりではなかった。
春のひだまりの如く、甘やかな余韻が、舌の奥と喉先あたりにいつまでもたなびいている。
その別れの言葉が、なんとも切なかった。