木場 河本

町酒場に川っ風。<江戸の常日>』

食べ歩き ,

小さな橋のたもとに小さなボロ家。
色あせた暖簾が、静かに揺れる。
ガタゴト音立て、木戸を開けりゃぁ、
「いらっしゃいまし」と、八十は越えたおばあさん。
ひっつめ髪に割烹着。
可愛らしい上目づかいで出迎える。
ホッピー頼むと、
冷蔵庫から取り出したるは、「コカコーラ」字が輝く
ああなつかしの一リットル瓶。
瓶に入った冷た焼酎を、いったん厚手のコップに注いで、 客のジョッキへ入れる。

見事な手さばき、数十年の仕事よ。

トンと置かれたホッピー注げば、薄茶の泡立ち、早く飲めよ と誘う。
壁の表札見れば、品書きわずか。
「バーターピーナッツ」、「やっこさん」、「みがきにしん」、「しおから」、「南蛮もやし」、「煮込み」、「らっきょさん」、「もろきゅう」といった具合。
なのに不思議は、奥の厨房の旦那さん、なにやら料理を作り続けてる。
やっこ頼んでホッピーちびり。
コプチャンとコンニャク 醤油味の煮込みに、七味をこれでもかと振りかけては、ホッピーぐびり。

長方形の椅子は、空いてりゃ横座り、混んでくりゃ立て座りと、まことに便利。
壁の扇風機見つけ、
「まわしていいかな」と、聞けば、
「ああ、いいよ」。

「ほこりでるよ」とおかみさん。
「やっぱり団扇がいいですかね」と、おかみの手元見て言えば
「あたぼうよ」。

「暑いかい」
「ええ、自分の肉襦袢が馬鹿にならないんです」

「じゃあ背中のチャックはずしてやるわ」。

ほっぴー二杯飲んで、やっこと煮込みで九百円。
「ありがとございましたぁ」の声を背中に浴びて、表に出れば、夜風がぬるい。
そこへぬめりと冷たい、川風が頬なでた。

木場「河本」にて。

閉店2019

昭和の初期に甘味屋として初代が開業した「河本」は、20年の東京大空襲で消失。翌21年に、酒場として再開した。焼け野原となった深川で、店と妻子を失った初代の元に、やがて新しい伴侶が加わる。原爆で焦土と化した広島から、姉と弟の手を引いて上京した戦争未亡人、眞寿美さんの母だった。戦争という牙で傷付いた4人は、身を寄せながら、運河のほとりで1つの家族になった。