居酒屋十二選
いい居酒屋の条件とはなんだろう。それは一にも二にも、居心地よく過ごせる、という一点にある。そのためには、風情があって客筋がいい、酒肴に冴えがある、年季が染みている、銘酒の揃えが豊富といった条件があろう。しかしなによりも大切なのは、客との距離を適度に置きながら、客の心持ちに最大限の敬意を払うという店主の心根ではないか。客は、駆け足を止め、都会の汗を拭って、自分の時間を取り戻しにくるのだ。その気分を察して醸し出された空間は、ゆったりとした時が流れ、心をじんわりと揉みほぐしてくれる。そんな空間を持つ店こそが、いい居酒屋なのである。もちろん訪れる客も気配を理解して、砕けながらも、凛として酔う。そうして客と店が作り出す一体感、それこそが一番のごちそうを生み出すのである。
とみ廣
注文をかけると、「はい」。とご主人は満面に笑みを浮かべる。その柔和な笑顔こそ、とみ廣の真心だ。確かな味の煮物類、質の高い魚類、銘酒の数々、名物焼きおにぎり。すべてに気分をほぐす心使いが行き渡っている。 渋谷 閉店
佃喜知
佃喜知では、魚の口福に浸るべし。酸味と深い香りを放つまぐろ中落ち、皮はぎ肝たたき、赤貝ぬた、きす昆布〆いずれも見事。ずらりと手書きされた品書きを眺め、さぁてなにを頼むかな、と悩む一時はこの上なく楽しい。
笹吟
創作和食というものを信用していない私だが、笹吟だけは違う。牡蠣と帆立にブルーチーズ、焼き林檎とエビにサワークリーム、酒盗ピザ。定番の肴共々、酒飲みのツボを心得た創作料理が銘酒と共鳴し、豊かな酔いを呼ぶのだ。
たまははき
鶴の友やシメイに至る酒類、平戸のアゴ干しやタン味噌漬に至る肴類。ご主人によって吟味された品々は、背筋を正す清澄が貫かれている。例えば白和え。野菜の香りと豆腐の甘みが染み渡り、酒が一段とうまくなる。閉店
浅七
凛とした風情が漂う名酒亭。蛤鍋、揚げだし大根、葱鮪汁、冷やし煮茄子、うざくといった旬を見極めた肴類は、江戸風のきりりとした味付けで、酒が恋しくなる。酒はご主人が信頼する八銘柄。好みで冷酒か常温、燗酒を。閉店
伊勢藤
風情を漂う石畳路地に、ひっそりと佇む。黒光する板壁や柱、囲炉裏を囲むカウンターと、古き良き居酒屋の趣を残す酒亭。一汁四菜を酒肴に、炭火で温められた燗酒をやる。ゆるりと流れる時の中、ひたすら静かに酔う幸せ。
わくい亭
おいしい活気で賑わう、下町屈指の居酒屋。質の高い刺身類やぬた、丁寧な仕事が光る里芋煮や穴子料理などに加え、名物のメンチカツやねぎたまといった洋食屋顔負けの肴も実に美味。豊富な酒類と共に陽気に楽しもう。
青山ぼこい。
不毛地帯青山で、貴重な憩いを与える酒亭。女将さんを始めとした店の方の真っ直ぐな気持ちが肴にも通じていて、刺身類、ポテトサラダ、牛肉豆腐、竜田揚げなど、丁寧に手を掛けながら一工夫した肴類が、心底を和ます。
一はじめ
豊富で変化に富むうまい料理目当てに、深夜まで賑わう酒亭。その料理とは、旬の魚の刺身や焼き物煮物、自家製薩摩揚げ、ぬたや煮浸し、鯨のステーキ、名物うに丼、元祖焼きうどんなどなど。さあ今宵はなにを頼もうか。
みますや
明治38年以来庶民の味方。縄のれん潜れば、黄色い灯りの中、時代と酒が染み込んだ机や柱、梁が黒く光を放つ。肴は思わず心が動く七十種。どぜう丸煮やぬたなど、こっくりとした味わいの肴で、じっくりとぬる燗を。
なかむら
若者の街下北沢で心を落ち着けられる、希少な酒亭。モダンな内装の中、穴子と蟹の湯葉巻き揚げや海の幸の朴葉焼きなど、楽しさが演出された肴類を、豊富に揃えられた銘酒に合わせて、とっぷりと楽しみたい。
さいき
お帰りなさい。扉を開けると今は無き女将の声が心に響く。その心意気を現ご主人が引き継ぐ。湯豆腐、〆鯖、えびしんじょうのあたりまえのうまさ。戦後文壇を始めとした客の愛情が染み込んだ、古き酒亭の良心が息づく。