「感謝のカタチ」vol1
ガタンゴトン。グォンゴォン。
頭上を駆ける電車の音を聞きながら、新梅田商店街「森清」の暖簾を潜る。
「おかえりい~」。
お母さんの優しい声に迎えられた。
お母さんは、ちょうど花を活けているところだった。
「おねえちゃんが、毎日花を持ってきてくれるんです。だから、可愛い可愛いいうて、活けてやるんですよ」と笑う。
通称きよちゃんこと清さんは、数えで80歳。父母と共に、曽根崎新地で店をやり、その後ここに店を構えて40数年になる。
一人「てっさ」で呉春をやっていると、「ただいま」と、80近い男性が入ってきた。
常連さんのようで、黙って座ると、ハートランドが出る。
「はいお母さん」と、清さんにまずビールを注ぐのも、いつものことなのだろう。
お母さんは「ありがとう」と言って一気に飲むと
「うわあ、ものすご、のどごしがええわ」と笑った。
その光景に微笑みながら、酒を春鹿に変え、「おかぶの酢の物」を頼んだ。
女将さんの作る野菜の惣菜、息子さん二人が造るほかの肴は、筋がキリリ通っていて、実に気持ちがいい。
飲み手の背筋をまっすぐにさせる。
「こんばんは」。もう一人、80近い男性が入ってきた。
その男性を見た瞬間、お母さんは
「おかえり、あら、あらあ?」と首をかしげて、突然顔が輝き、笑い出した。
「あら?あらあ?」。おかみさん清さんの顔が輝きだす。
「お母さん、帰ってきたわ。もう何十年ぶりかな」。
「懐かしい。よう来てくれましたわ。あんた曽根崎の店の頃からやったからね。お互い若かったなあ。なにか飲む?」
「いやちょっと、飲んできたさかい」。
「ようけ飲んできた顔してるわ。飲んだて、コーヒーかぜんざいか? ハッハッハ」。
「まあビールでも飲んで。あんたと仲良かった、○○さんはどないしてる?」
「ああ、あいつはいってもうた」。
「そうですか。あの子は、ほんまにええ子やったな」。
昔話を交わしながら、お母さんは「嬉しいわあ、懐かしいわあ」を繰り返す。
名物「サラダ」が来た。日本で五本の指に入ると思う、ポテトサラダだ。
味がこれ以上でも以下でもなく、キリッと決まり、胡瓜、人参、紫玉葱が入るが、恐ろしいまでに極薄、極細で、しかもシャキッとして、芋の食感を引き立てる。
「仕事のしてある」ポテトサラダは、次男の仕事だ。
「おいしいなあ。何回食べても」というと、お母さんは笑顔で、
「息子が店やってくれてるんで、こうしてやっていけるんですわ。でもね。この子ら、自分で産んだとは思えないの」と言う。
「え? なんで」と聞くと
「産んだのやなくて、与えられたものやと思うの。だからほんまに感謝してる。毎日お空に向かって、今日という日をいただいてありがとう。て、感謝してます」。
「だから、マイナスのことは、絶対言うてはあかんと、思てるの」とも言われた。ポテトサラダの味が深まって、酒に人情が染み込んだ。
帰り際だ。
「また寄らさせてもらいます」と言うと、
「お客さんが来てくれたから、今日は何十年ぶりにええ人と出会えましたわ。ほんまにほんまに、ありがとな」。
女将さんは満面の笑顔で、何度も頭を下げ、見送ってくれた。