「カウンターは、主人との関係を作る場所なんだ」。
若い頃、酒飲みの先達に教わった。
そうか。常連になるにはカウンターか。と勝手に解釈したが、若い身空では、どうも敷居が高い。身のやり場に困り、会話の切り出し方もわからず、関係を作るどころか、すれ違うばかりである。
だが幾多の場をこなしていくうちに、独自の間合いが、次第に飲み込めてきた。
座り合わせた人達だけが空間を楽しむ、テーブル席に対し、カウンターは、主人、自分、他の客達によって、間が生まれ、生きる場なのである。
各人の呼吸が重なって、ぴたりと着地している時のカウンターは、独特の間が生み出す緊張感と色気に満ち、胸を弾ませる。
料理人は、目前の客にあおられて技を昇華し、客は料理人の姿や言葉に触発されて、高揚する。場のリズムが料理を輝かせ、気分を上気させる。
それは自然と共生してきた日本人の、奥底に流れる「間」であり、時間と空間を一緒に概念する間なのである。
だがここは、客も呼吸を読みながら、積極的に参加するステージであるから、覚悟が必要である。責任の半分は我々にもあると銘じなければならない。
覚悟さえつければ、この素晴らしき間が生まれるステージの方が、俄然面白い。
「みかわ 是正庵」は、そんなカウンターの醍醐味を、存分に味わえる店である。
十代の頃、「なぜ陶芸家はアーティストと呼ばれ、料理人とは呼ばれないのか」。と疑問を持った早乙女 氏は、「60歳で作家の作品に囲まれた店で天ぷらを揚げる」という目標を掲げ、実現させた。
理想の店を作り上げたご主人の清清しい立ち姿が、気を引き締め、胃袋を刺激する。
仕事の一部始終を、一挙手一投足を見ながら、一つのキスや海老に、何百の思いが込められてきたかを思う。
日々、今の仕事がベストかどうか問い続けてきた、職人の心根を思う。
出された天ぷらを間髪いれずに食べる。微笑む。「おいしい」と呟く。客の喜びが重なる。それらがご主人の背中を押すようにして、仕事にターボがかかっていく。
そんな感覚の合間に、「栃木生まれの江戸っ子だ」と胸を張るご主人の、小気味のいい話が飛び出し、我々も応える。
恥じらいとやせ我慢に貫かれた江戸っ子の粋が、場の温度を上げ、一体化させる。
これだ。カウンターとは、主と客を峻別するのではなく、関係を作る場所なのだから。