料理はコミュニケーションだという。
銀座の「ティエリー・マルクス」で、スペシャリテの「もやしのリゾット」をいただいた。
パルミジャーノの泡の下には、刻んだセップとセップのムースとセップのスープが忍んでいる。
1サジすくえば、チーズと茸が重なり合った、厚いうま味が舌を包む。
しかしその時、歯と歯の間で、米粒大に切られたもやしが弾むのである。
チーズと茸という確固としたうま味成分を持つ両者の前では、もやしは弱い。
うま味はわずかで、香りも乏しい。
しかし濃いうま味の中で、そのみずみずしさが輝く。
淡い味わいが逆に、繊細を伴う気品となって、心を打つ。
この料理の主役は、もやしなのだ。
チーズと茸は、脇役としての引き立て役なのだ。
季節にはトリュフでもやるというが、それも脇に控えるのだろう。
初めてもやしに出会ったティエリー・マルクスは、東洋の神秘を見たのかもしれない。
剣道が趣味だという彼は、敵を圧倒し、制圧する術を学ぶ西欧の武術より、自分自身を制することに重きをおく、日本武道に惹かれた。
安価な野菜だと軽んじている我々には気がつかない、もやしの孤高を感じ、そこに気高さを見たのかもしれない。
この料理は、そう彼が語りかけてくる料理である。