ご主人の動きが早くなった。6人前の注文である。他の客からも次々と注文が入る。
棒状になった生地を、小口切りにし、それらを小さな麺棒で延ばし、丸く形作っている。
餃子製作は御主人の役目で、女将さん二人は、別の料理担当らしい。
幾多幾の餃子を作ってきたであろうご主人の動きは、無駄がない。生地を延すときは、腰でリズムをとり、包むときは肘でリズムをとっている。
生地から瞬く間に餃子に変わっていく様が、美しい。踊りの名人にも似た、淀みのない、自然な流れである。
ご主人は、焼く段階でも具合をいちいち見ない。それもしかり。包む人と焼く人が分業していないため、焼き始めては、延ばし、成形し、包む作業に戻るのである。
恐らく耳を澄まし、体内タイマーを使うのだろう。迷いなく、焼けた頃合いに鍋から取り出し、楕円の皿に盛りつける。
登場しましたよ。餃子6人前だあ。一人前7個だが、小ぶりで、慣れ親しんだ餃子より、一回りは小さい。
漬けダレはすでに調合してあり、小皿に注がれている。辣油はなく、酢醤油に辛子が少し溶かれているような味わいがした。
「手前からふつう、にんにく、紅です」。ナゾの言葉を放って、店員は去った。
「手前から行けよ」。先輩の指導に従い、「ふつう」から攻める。「カリッ」、焦げた皮に当って痛快な音を立てた歯が、皮に包まれる。
柔らかでむちっとした皮に小躍りする間もなく、熱々の汁が流れ出た。肉汁かスープかわからぬままに噛みこむ。
白菜と豚肉中心の餡は少ないが、優しい味わいがあって、五香粉だろうか、微かに甘い香りがする。その餡と、出来立ての皮のバランスがとてもいい・
こいつは軽いや。二人前どころか、五人前はいけるぞ。小さいだけではない。他の餃子の特徴でもある「俺が餃子だ」という、威張りがない。穏やかな性格なのである。
「どうだ。うめえだろう」。にやついた僕の顔を見て、先輩がうれしそうに囁く。
「うまいっす」。そう叫ぶと、にんにくに攻め込んだ。そして目を丸くした。
にんにくが半片、丸ごと入っているではないか。そのほくっとした食感、匂いが、穏やかな餃子からにゅっと出現する驚き、ときめきに、ただただ顔を崩す。
対比もいい。途端に餃子が表情を変えて、勇壮になる。
もう一つにんにくといきたいところを我慢して、紅に手を伸ばす。おおっ、辛い。唐辛子じゃありませんか。見れば皮が、ほのかな紅色に染まっている。
穏便、勇壮、そして辛味の痛打という波乱万丈の味わい。ジェットコースターか、荒波に投げ出された小舟の如く、緊張と弛緩、安寧とスリルが交差して、病み付きとなる。
しかも波瀾万丈は、これだけではなかった。チーズ、カレー、中国腸詰のラーチャン(今はない)という波も用意されていたのである。
一気にはまった。今でこそ、餃子の中に様々な具を入れるスタイルがあるが、1970年代当時の餃子といえば、肉は豚肉、ニラ、白菜かキャベツ、にんにく。これ以外なにを入れるのという時代である。
チーズやカレー、唐辛子なんて、コペルニクス的転回だったのである。
「ムロ」の虜となり、一人で一万円近く食べて飲んだこともある。この餃子なら、永久に食べ続けられるのではないかと、錯覚していた時期もある。
食べ方も次第に定着した。漬けダレには、両面たっぷりつけて、焦げた側を舌側にして食べるとおいしい。
さらには追加で腐乳を頼み、漬けダレに少し溶かして食べるのもいい。その際は、小皿をもう一つもらい、シンプルなタレと腐乳入りを二つ作ること。
または、ネギ味噌(白髪ネギに味噌ダレをかけたもの)を頼み、挟んで食べるのもいい。
昔はなかったが、最近は白いご飯を置くようになった。先日若者が、普通の二人前で、ご飯を掻き込んでいた。
しかしこの店の餃子に会うのは酒だと思う。
普通にはビールか謎のカクテル「ホースネック」。にんにくには、刺激的な味と香りと持つ白酒、北京の人が好きな二鍋頭酒がいい。
カレーには、フォアローゼスのストレートかロック。チーズにはワインかビール。いやいや上海老酒もいいぞ。
そして紅には、色も合わせてブラッディーマリー。ブラッディーマリーにタバスコを入れるが如く、紅餃子をつまむ。
ラーチャンがあれば、ズブロッカか白酒でいけるのになあ。早く復活してほしい。
こうしてそれぞれの餃子に、酒を合わせているから、支払が高くなるという話もあるが、餃子で散財するなんて、剛毅な話じゃありませんか。
今は三代目が、餃子作りの担当である。お父さんより腰の動き良く、店は安泰、三代続けて通うという常連たちも、末永く店と付き合える。
先日、80代と思える、白髪の上品な婦人が一人、にんにくとチャプスイを、悠然と食べていた。そんな光景がここには似合う。
先輩、僕もあれから37年も通っています。でもね、「スヰートポーヅ」と「福蘭」も、通っていますよ