「ほら、もう来ているよ」。
野草たちが春の足音を、耳元で囁く。
「野菜料理が食べたい」。予約の時にそう伝えると、「畑瀬」のご主人は、そのために山に分け入って、草を摘んで来てくれた。
「ワラビの昆布締め」、「ふきのとう味噌」。「クレソンとほうれん草の白和え」、「わさび菜おひたし」、「イカと土筆、筍とノビルの酢味噌和え」。
次々と野の草料理が並ぶ。
食べれば、涼やかな風が流れ込んで体を清め、ほのかな苦味が、春の芽生えを教えて、喜びに変えていく。
それぞれの料理の甘みの使い方が、精妙のである。
これ見よがしではない、それでいながら旨みを乗せるギリギリの糖分が、酒を恋しくさせる。
中でも「ふきのとう味噌」が素晴らしかった。
今まで食べたふきのとう味噌はどれも、味噌の甘みの中からふきのとうの苦味が顔を出す料理だった。
しかし「畑瀬」のそれは違う。
ふきのとうと味噌が丸く抱き合っているのである。
一つの新たな宇宙があって、一舐めするごとに、目尻が下がる。
一舐めするごとに、ご飯が恋しくなり、一舐めするごとに、酒が欲しくなる。
これがあれば永遠に酒が飲めるさ。
聞けば、茹でるのではなく、揚げるのがコツなのだという。
そう、普段あの魚がうまい、あの肉がうまいとエラソーなことを言っているが、こういう野草料理を前に、これだけでずうっと酒を飲みたい。
それが望みである。
それができない店が多いのが、悲しみである。
そして「野菜料理が食べたい」という一言だけで、ご主人がそのために山に入り、様々な草料理を作ってくれる。
その思いを、涙が出るありがたい思いを与えてくる店も少ない。
博多「畑瀬」にて。