「アーリア・ディ・タクボ」を勝手に救済。
なんとエゾシカのハラコである。まだお腹の中にいる子である。
ローストされたそれを、そうっと口に近づけ、噛む。
まったく鹿ではない。我々の知っている鹿ではない。
雑味なく、酸味なく、鉄分がない。
白いその肉は、ぷにゅっとしていて、噛みしめるとつたない甘みが滲み出る。
まだミルクも飲んでいないのに、ほんのりとミルクの香りと甘みが滲み出る。
筋肉も筋も血液も、生成されていないひ弱さが、純真の旨味を生んでいる。
しかし生まれてすぐ立ち上がる野生の足の骨は、きゃしゃながらも揺るぎなく、肉もしっかりと張り付いている。
その姿と味のギャップに戸惑う。
しいていえば、ひな鳥もも肉と鮟鱇の中間のような食感だ。
噛むことをためらうような無垢の甘みがある。
命の源泉に触れてしまったような神々しさがある。
噛むたびに、お前は私を食べるのに値する人間かと、問われている禁断がある。
我々は葉っぱ一枚でも命を絶って、食べ、我々自身を育んでいる。
わかっていながらも、生きとし生けるものへの感謝と敬意を忘れがちである。
だが、この日ばかりは深々と頭を垂れ、念を、心の奥底へ刻みこんだ。