暗い森の中で

日記 ,

暗い森の中で、モノノケのようにまどろんでいた牛たちが、一頭、また一頭と、草原に現れた。
その時、僕の首には鈍い光を放つ匕首が突きつけられた。
「ここは、俺たちの住処だ」。牛たちは「べえぇぇえ」と鳴く。
ちっぽけな人間を見ているのか、無視しているのか、ゆっさりゆっさりと歩む。
厳然とした自然の掟が、人間をたじろがせる。
そこには、我々が「生かされている」根源があった。
駒谷牧場の完全放牧野生牛。
牛舎も無い。餌も与えない。
牛たちは、好きな草を求めて、ディズニーランド五つ分の牧草地を移動する。
人間に食べられるために大きくなるのだが、35頭の堂々たる体躯には、卑屈さは微塵も無く、皮膚は輝き、崇高な気だけが立ち上っている。
「自然」と、簡単に口にしてはいけない気高さを背負い、目の前をゆっさりゆっさりと歩む。
しかしそれだけでは、おいしくなれまい。
牧場主の西川奈緒子さんは、厳しい環境で育てる苦労話を、「もう大変なんです」と、いくつも話してくれた。
都会に住む我々には、想像を絶する飼育環境だが、悲惨は感じられず、失礼ながら、楽しくてしょうがないという明るさがある。
なにしろ誰も試みたことの無い飼育である。
人知れぬ、数多くの悩みをお持ちだろう。
だが西川さんは明るい。
その快活なお人柄と牛に対する至上の愛を、牛は受け容れているに違いない。
それこそが、ジビーフの味わいの深さを生み出すのだ。