24回、驚きの声を上げ、24回、充足のため息を漏らした。
世界のどこにもない。唯一無二の割烹である。
その24皿は、すべてが初めて出会う料理である。
極めた個性に輝くが、奇をてらったところがない。
すべてに意味があり、主役となる食材の喜びがある。
食材の声を聞いて、組み合わせが考え抜かれ、精妙なサイズや量、加熱で供される。
どこにもない料理であるが、けれんみがなく、食材への敬意が心を打つ。
例えばつたない甘みを伝える筍の先は、もずくをソース状にした淡い潮味を合わせて、互いのはかなさを滲ませる。
新たな若竹煮である。
一方根元は、削って凝縮させ、酒と醤油で焼き、豊かな、濃いミネラルで、命を弾け飛ばせる。
コシアブラとゼンマイの玄米粉揚げは、玄米粉の芳しさと山菜の香り、下に敷かれた砕きカカオの苦みと山菜の苦みを呼応させる。
さよりの優しい甘みがこぼれる、おぼろ昆布巻きのドーナツ。
トウモロコシ、佐藤錦、車エビ、三者の甘みが溶け合う料理。
炒めたホタルイカとキャベツとジャガイモを合わせたコロッケは、濃縮させたホタルイカの肝ソースで、打ちのめす。
和歌山のカツオは、新玉葱と緑の和芥子を添える。
新玉葱は炒められ、甘みが引き出されているのに、なぜかシャキシャキと痛快な音を立てる。
干した串アサリは、生では気づかない肝のうま味に驚かせ、出汁で煮含めた椎茸と鳥貝がうま味を交換する。
蛤と鮑の椀は、それらの滋味を慈しむように、出汁にギリギリのうま味をまとわせる。
5日間出汁に浸けた手長蛸は、表皮と中心の食感が真逆で、歯を喜ばせる。
焼きナスを抱かせた焼きナスは、舌の上で同時に溶けゆき、エロスを漂わす。
白梅肉で炊いたウドと生のウドと合わせた焼き穴子の、土の香り。
焼き白アスパラとチンタセネーゼのサラミとクレソンソース、徳谷トマトの相性にコーフンし、オコゼとその胃袋等の肝ソース和えに、堕落する。
24の小さな奇跡があった。
その出会いに深々と感謝したい、
名古屋「野嵯和」の夜。