なぜ僕は、名古屋に住んでいないのか。
もう10年の付き合いとなるこの店は、割烹というには気取りがない。居酒屋というには料理が図抜けている。小料理屋とは言いたくない。ゆえに酒亭。
名古屋浄心にある「花いち」だ。
店は駅から歩くこと15分、ひっそりと住宅街に身を沈めていて、赤みを帯びた黄色い朽色の瓦に、生成りの土壁が品を漂わせている。
表札も看板もない。
だが品格ある趣が、近隣の家屋と一線を画している。
両開きの木戸の上には、墨跡鮮やかに「不食不触」と記された、木版が。
木戸を引き敷居をまたぐと、廊下が奥に伸びて、右横には月見障子が連なる。
その障子の奥が客席で、年季の入った六席のカウンターと板場が広がっている。
毎日墨で手書きされる品書きは、どれも食べこんだことのある人なら「むむむ」と唸り、」その後どれも頼みたいという嬉しい悩みが待っている。
その日頼んだお造りは、ホウボウと赤貝。
太い糸作りされたホウボウは、甘みが舌の上を滑り、知多半島という赤貝は、艶やかな香りが鼻を抜ける。
「蝦蛄と胡瓜 土佐酢」蝦蛄と胡瓜の対比的な食感に酒が進み、土佐酢のうま味が蝦蛄のほのかな甘みを生かす。
「海老と椎茸の豆打ち」は、この店の得意とする料理で、茹でて裏ごしした豆(えんどう豆と思われる)で、海老と椎茸を和えたもの。
その海老と椎茸の質が素晴らしく、豆の優しい甘みの中で、幸せそうに存在している。
「出汁巻玉子」は文字通り出汁巻。というのは、玉子が固まるすれすれの量までたっぷりと出汁を入れた焼きで、噛んだ瞬間玉子の甘い香りとともにダシが流れ出て、顔が崩れてしまう。
続いての椀は「切り干し大根と油揚げ、芹」。素朴でいながら豊饒。この辺りがご主人の真骨頂で、どこにでもある素材から、生きている喜びを感じる料理を作るのだ。
あぶらあげ、切り干し大根、その厚みに細心の注意を払っている。
出汁も出過ぎていない。三者が出え合えたうれしさを発露しているのだ。
しみじみとうまい。実直においしい。
「浸し豆」は、驚いた。豆を戻し出汁につけるのでなく、その場で煎った豆を出汁につけたのだ。香ばしさに止まらなくなり、豆を噛みしめる喜びを久々に感じた。
ここで味噌汁をいただき
〆は、連れが天むす(その場でサイマキを伸して揚げ、握ってくれるのだ!)と別のおにぎり(忘れました)。
わたしが深川丼(あさりを酒蒸しし玉子とじをご飯にかけたもの)。
満ち足りた気分で、酒もたらふく飲み、一人八千円強也。
ああ、なぜ私は名古屋に住んでいないんだろう。