こんなに魚を慈しむ料理人を、他に知らない。
それがこの、焼きあがった魚に向けた、優しい眼ざしにあらわれていると思わないかい。
「魚は一匹丸ごと焼かないと美味しくないよね」という、何気ない智映さんとの会話で生まれた「魚は丸ごと一匹焼かないと美味しくないの会」は、僕たちのまだ知らない魚の魅力に溢れていた。
皮にあまり魅力のないコショウダイは、ウロコごとバリッと焼いて皮を剥がし、頭と尾を混ぜて、茗荷、しそ、レモンをあしらう。
ふわりと甘く口の中で香り立つ身に、香味野菜の香りが爆ぜる。
皮に色気があるメバルは、皮ごとよそい、あんをかける。
皮の青々しい香りが鼻に抜けると皮下のヌメッとした食感が舌に絡んで、こりゃあ確かにエロい。
黒ムツは、おろしてしまうとすべて肉汁が流れ出てしまうので、鱗落として、丸焼きにする。
それも、加熱→余熱→加熱→余熱という、肉のような火入れで仕上げる。
黒ムツやアカムツなどは、味がぼんやりしているので、わさびと醤油につけて食べろという。
食べればアッサチロしているようでいて、後から味が滲み出てくる。
「しっかりしろい! お前は本当はうまいんだ」と、わさびの刺激が叱咤して、黒ムツが本来の滋味をじわじわと舌に乗せてくる。
次は、切り身と丸ごと焼きの食べ比べ。尾赤むろあじである。
丸の方は塩をして30分休ませなじませて、もう一度塩を振って焼く、二段塩でやり、切り身は余計に脱水してしまうので、役寸前に塩をパッと降る。
食べれば切り身は、奥底から磯のような香りが立ち上がる野生感があるが、丸焼きはなんとも品がいい。
舌をいたわるような甘みが、しんわりと流れ出る。
皮が硬いフエダイは、丸ごと焼いて、皮を外して、魚醤とレモングラスを合わせたもので食べる。
切り身にすると臭さが出るこの魚も、なんともお行儀が良い。
いやこのままでもかすかに臭ささは感じるが、上流家庭のお嬢様に潜む不良性といった趣があって、なかなか良い。
最後はすべての魚の身を集めて混ぜ、生蓼で作った蓼酢を和えた混ぜご飯。
蓼の青々しい香りと魚の香りが抱き合って、口を喉を体を駆け抜ける。
やはり魚は一匹丸ごと焼かないと美味しくない。
僕らも今夜で、魚をもっと愛するようになりました。
みんな食べたいでしょ。
智映さんまたやろうね。
こんなに魚を慈しむ料理人を、他に知らない
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