素朴さが洗練されていくと、色気が生まれることを知った。
今年初めて出会ったレストランの中で、圧倒的に最上である。
それはアミューズから始まった。
ズッキーニのミント風味を、何気無く食べた瞬間に、目を見開き、体中の細胞が揺れ動く。
雑さが微塵もない。
均一に加熱されたズッキーニから優しい甘みが出て、ミントの爽やかな香りがその甘さを微笑みながら見守っている。
たったこれだけのズッキーニで心を震わせる、その哲学と精密な技術はどこから生まれているのか。
同じ皿に盛られた、ほうれん草とアンティーブのフリッタータも、生しらすのベルガモットオリーブオイルとカラブリア唐辛子の料理も、緩みがまったくない。
地平線の彼方まで自然でありながら、それを成し得ている調理の精巧さがある。
続いて出された鯖の料理もそうである。
なんと茹でた鯖だという。
茹でた鯖。
鯖を茹でたらポソポソになってしまう。
しかしその鯖はムースのようで、しっとりと、ねっとりと舌にからんで、甘えてくる。
その食感を持ち上げるように、ウイキョウはシャキシャキと弾みオレンジは溌剌とした香りを放つ。
すべてカラブリアの郷土料理である。
「オステリア・デッロ・スクード」はこうして、二ヶ月ごとにイタリア全土の料理を提供していく。
だが、イタリア20州の郷土料理を食べることのできる店とだけとらえてはいけない。
郷土料理の再現なら、ある程度誰にでもできるだろう。
だがその哲学を理解しながら精度を上げ、あるいは調理の工程を確認しながら、さらに良き方法を探って実践するのは、容易なことではない。
料理を認識し、理解し、分析し、至高の方法目指し、実現する。
洗練させるのは味わいだけではない。
温度も香りも洗練させる。
超えてはいけないものと超えてもいいものを、判断する。
先人の叡智に敬意を払いながら、その文化を踏襲していく責任と覚悟を心に据え、新たな宇宙を作る。
小池シェフの勇気と度量、技術の深さが成した、どこにもない料理である。
おそらくこの写真だけだと「いいね」は少ないかもしれない。
食いしん坊なら、イタリア料理好きなら、ぜひ出かけて、心の「いいね」を増やして欲しい。
少なくとも僕は、一ヶ月半に1回通うことにした。
素朴が洗練されると色気が生まれる
日記 ,