「炎の中に宝がある」。
「中国の料理人はそういうね。いかに火を自分のものとするか、それが難しいね」。
4種類の炒飯を二人で食べた。
銀座「趙楊」で、炒飯を食べた。
でもするりと食べられてしまう。
油っ気をまったく感じない。ご飯の甘みを感じる。味と香りに変化がある。
それが理由だ。
1燻製肉とくわいの炒飯。
燻製の香りとくわいの歯応えが交互に交じり合い、瞬間で食べ終わった。
2腸詰と生ザーサイの炒飯。
ソーセージの甘み、生ザーサイの凛々しい歯応えみずみずしさに山椒の香り舞う。
3干し肉と筍とほうれん草の炒飯。
干し肉の凝縮したうま味と、ほうれん草の優しい甘みの均整、たまりません。
4豚ひき肉と漬物の豆板醤炒飯。
ひき肉の旨味、漬物の塩気、それらをまとめる豆板醤の辛味と練れた塩気。豆板醤が入っているのに焦げることもなく、もたつくこともなくパラパラ。
未知の味である。
それにしても写真でわかるように、玉子の気配を感じさせない。
しかし玉子は、微細となって米一粒一粒をコーティングしているのだ。
だから、食べられるのだ。
一粒一粒がふっくらとして、良き香りをまとい、口の中で花弁のように舞う。
「四川料理の炒飯、広東と違って、まったく油っぽくないよ」。
最後に趙楊さんの言った一言が可愛かった。
恐るべし趙楊。