鰻弁当

駅弁 ,

土用丑の日近辺では鰻を食べない。
自分に課していた禁を、駅弁愛に負けて、破ってしまった。
今、東京駅「祭」には、土用丑の日に合わせて、三種類の鰻駅弁が用意されている。
弁当にした、冷えた鰻には、期待はできない。
そう思うのだが、鹿児島駅の駅弁という珍しさと、明日鹿児島に行くというウキウキ感で、つい手に取ってしまった。
値段も確かめず、レジで価格を告げられ、「えっ‼️」と、心の中で叫んだ。
2800円である。
さすが鰻様、2800円と言われても、仕方ないと思わせる。
開けて、再び目を丸くした。
期待はしていない。していないが、もう少し大きくてもいいんじゃないの。
隙間から見える白いご飯が、恥ずかしそうにしている。
食べて思う。
この弁当には、様々な示唆や疑問が詰められている。
1.現実の厳しさを教える
2.鰻は厚切りハムを少し硬くしたような食感で、嚙めと言ってくる鰻もあることを教えられる。
3.生前はアスリートであったのだろう。こんなに小さくとも、筋肉質で小骨もしっかりとしている。
4.タレは甘く濃く、必要にして充分であるが、それでもタレ袋を添えるのは、優しさか?
5.ゴムと言っては失礼だか、皮は似たような食感で、咀嚼力が試される。
6.弁当箱をここまで大きくする必要があったのだろうか? 小さい鰻をさらに寂しく見せようとしたのか❓
7.タレの味以外の風味を探すため、味覚の鍛錬となる、
「社長、日本一の養鰻地である、鹿児島を代表する弁当を作りましょう」
「いいな。それでいくらだ」。
「2800えんです」。
「高いな。その値段じゃ、鰻屋で食べたほうがマシとならないか?」
「いえ、この値段でも、儲けはあまりないのです」。
「なら仕方ない。進めなさい」
こんなやりとりがあったかもしれない。
こんな鰻を、この値段で出さざるを得ない。
ここにも、鰻資源減少、鰻高騰の厳しい現状と行政の無策という現実が投影されているのであった。