今から38年前の冬、パリのサンジェルンマンデプレにあるビストロで、僕は、ある紳士に見惚れていた。
1976年、まだ日本にフランス料理店が多くない時代に、フランス料理とは無縁の大学生は、ブッフブルギニオンに打ちのめされ、陶酔し、ようやく覚醒しようしていた。その時、目に入ってきたのが、一人の紳士の行動だった。
年の頃は70過ぎ。仕立てのよい三つ揃いを着こなし、美しく整えたカイゼル髭をはやした紳士が、一人で悠然と食事をしている。
彼は食事が終わると、缶ごと運ばれてきたチョコレートを、食べ始めたのである。
コニャックを飲みながら、小さなチョコレートを一つ一つ、幸せな笑顔を浮かべて、食べている。
立派な大人が、レストランでにやつきながら、チョコレートを食べている。
子供じゃあるまいし、恥ずかしくないのだろうか。
だが妙なことに違和感がない。店の空気にすっとなじみ、泰然自若としてひたすら食べ、他の客も全く気に留めていない。
一般的な光景なのだろうか、この店にだけ、老紳士だけの特殊事情なのだろうか。
ナゾが深まった。
ボンボンショコラの草分けとされる「ブール・ミッシェ」の開業が1973年。発売して十年ほどは全く売れなかったと聞くように、日本ではまだチョコレートが、子供のお菓子であった時代である。
謎の答えは、帰国して読んだ辻静雄の「パリの手帖」にあった。
「南米から最高のカカオを輸入し、生クリームは自前の農場で作り、最高のリキュールを集めて、おいしいチョコレートを作ろうと努力している」と。
高級店はしのぎを削り、マダムドゴールやブリジット・バルドー、アナトール・フランスなど、著名人がお気に入りの店を自慢し合う、大人の嗜好品であると知った。
さらに“食後の3C”なる言葉も学んだ。
すなわち、コニャック、シガー、ショコラは、レストランでの食後に欠かせない、大人の楽しみであるという。
そうしたヨーロッパのチョコレート文化が根付き始めたのは80年、高級店が出来始めたのは、90年に入ってからである。
今では欧米と同じく、大都市には必ず高級ショコラティエがある。ヴァレンタインが近づくと、どの店で趣向を凝らそうか、悩みに悩む。
銀座にも多くのショコラティエがあるが、お奨めは「ピエール・マルコリーニ」である。
ピエール・マルコリーニは、数々の名店で修業を重ねた後、1994年に独立。
1995年にはクープ・デュ・モンド(菓子の世界大会)リヨン大会で優勝し、その後も数々の受賞歴を持つ、ベルギーを代表するショコラティエである。
ピエール・マルコリーニの特徴は、オリジナリティー溢れる作品を作り出して、世のショコラファンを魅了するだけでなく、原産地をこまめに回って、カカオ豆の仕入れルートの開拓、買付け、選別、調合、焙煎や精錬、すべてに渡り自からの手で行っていることにある。
そして銀座店で嬉しいのは、カフェが併設されていることである。
ヴァレンタインにチョコレートを贈るのもいい。ホワイトデーにお返しするのもいい。
しかし相手が本命なら、カフェで一緒にショコラを食べて、幸せを共有するのはどうだろう。
恐らく二人にとって、忘れられぬ思い出となるはずである。
カフェで過ごすなら、チョコレートも違う表情を見せてくれる。例えば生チョコである。
カカオマスに砂糖,ココアバター,粉乳等を混ぜて練り固めたチョコレートに対し、生チョコレートは、チョコレート生地60%以上に、クリーム10%以上等を練り込んだチョコレートである。
口溶けの良さと、カカオの違いがより分かりやすいのが特徴だが、実は欧米には存在しない。
一説によれば、1986年に日本人ショコラティエが発案した菓子だという。
ピエール・マルコリーニは、日本の生チョコを食べて興味を持ち、ついに2012年の10月より発売することになったという。
以下次号