花山椒の真実を知った。
今の時期、多くの割烹で花山椒が使われる。
だがその花山椒は、今まで出会ったどの花山椒とも違っていた。
「先ほど取れたばかりの花山椒です」。
萩本さんはそう言って、丼にこんもりと盛った花山椒を出してくれた。
するとどうだろう。
今まで知っていた花山椒の香りとは違うではないか。
あの刺激的な香りはなく、そこには草が放つ青青しい香りだけが存在していた。
微かに山椒の香りがするのだが、それは透き通っている。
香りが透き通るとは妙な表現かもしれない。
だがその香りは、不純が一切なく、清くありて、鼻腔から脳幹へと吹き抜けていく。
これが自然なのだろう。
これが真実なのだろう。
後ほど花山椒は、熊のしゃぶしゃぶに合わせられた。
融点が低い脂がみっちりと乗った熊肉と花山椒を、口の中で出合わせる。
目をつぶれば、深山に佇んでいた。
野生と野生が抱き合った優しさがある。
よくサシの入った牛肉と花山椒が合わされるが、今まで僕自身は、意味合いが見出せなかった。
この採り立ての花山椒は、尚更不健康な脂を拒否するだろう。
噛んでも、微塵のえぐみも苦味もなく、ほのかな山椒としての刺激がある程度である。
だがそれは、ほのかながらも、精神を浄化してくれる峻烈があった。
飯田「柚木元」にて