栗はまだ、起こされたことを知らない。
寝息をたてたまま、穏やかな甘味を忍ばせる。
1℃で氷温熟成させた栗のフランに、煮出した渋皮のムースが、てろんとしなだれる。
栗以上に栗にさせない。
微かに入れられたカスタードも、栗の甘味を気づかれないように下支えをしている。
その計算は精緻だが、人間の手がかかっているようにも思えない。
栗そのものの実直なうま味が、朴訥に語り、打ち寄せる。
舌というセンサーを通じて、遠い記憶を呼び起こす。
そこにはどこまでも自然に近づこうという、敬意があった。
僕らは、気がつかないうちに食べていた。
知らないうちに、体に溶けていった。
それが自然なんじゃないかな。
と、栗がつぶやいた。
「カンテサンス」にて。