この料理を一口食べた瞬間、鳥肌が立った。
「イチジクのごまあん」である。
今まで何度も、各所でいただいてきた。
しかしこれをいただいてしまっては、もう一生、他では喜ぶことができないかもしれない。
そう思うほど、孤高の美しさがある。
今まで出会った「イチジクのごまあん」は、煮イチジクが水っぽく、それとバランスを取るために、ごまあんは重かった。
それでも十分においしい。
だがこれは違った。
あんはさらりとして、静かに寄り添っている。
イチジク はというと、今もぎましたというばかりに、みずみずしい。
スプーンを刺せば、スッと身が割れる
その時に驚いたのは、イチジクからエキスが一切離水していないことだった。
煮汁を抱えつつ、命の張りを保っている。
あんは、ソースは、イチジクの可憐な肉体と気品ある甘さをいたわるように、優しい。
ふわりと胡麻の甘さを滲ませながら、イチジク と同化している。
地平の彼方まで自然であり、その精妙なる出会いが、雅を生んでいた。
それゆえか。
口に運ぶだびに、体は宙に浮き、甘美に満たされていくのだった。
食べ終わって、ご主人につくた方を尋ねた。
それは使うイチジク の見分け方からがう。
恐ろしく念入りで理論的、かつ丁寧であり、料理の基本を考えさせられるものだった。
京都「浜作」にて。