キムチには、アミの塩辛も魚醤も入れない。
ニンニクもネギも入れない。
入れるのは、野菜類、茸、海藻だけである。
作るのは2日がかりであった。
白菜を塩水に漬け、四等分に切る。
大釜でヤンニョムの元を煮る。
入るのは、蓮の葉や椎茸の軸などいくつかである。
新生姜と大根の皮を剥く。
翌日芥子菜を刻み、大根、新生姜、赤ピーマンなど数種の野菜や赤唐辛子は細かく刻む。
これらと蓮の葉やらを煮た真っ黒な煮汁と合わせていくのである。
スニムは、味を見ながら、それらを巧みに合わせ、自家製の甘酸っぱいゴミシの汁などを注ぎ混ぜる。
このヤンニョムを舐めてみた。
複雑ながら優しいうまみが舌を包む。
どのキムチのレシピを見ても、無い作り方である。
これがあの澄んだキムチを作り上げるのだった。
いや味の秘訣は、それでは無い。
白菜を切る時は、正確に4分の1に切らないと叱られる。
細いのが出来ると、葉先が千切れて汁の中に埋没して勿体無いからである。
水につけて洗う時は、バシャバシャやってはいけない。
優しくゴミを落とすようにしないと、葉がちぎれてしまうからである。
さらにヤンニョムをつける時も、葉一枚一枚には塗り込まない。
根元だけを中心に塗っていく。
葉は挟まないでも、つけ込むうちに味が染みていくからである。
最後は外の葉2枚を残し、それを一枚一枚巻いて、ぎゅっと固める。
緩んではいけない。
そしてスニムが白菜に触る時、素手で薬念を塗るときは、我が子の頬を触るような慈しみがあった。
手の味である
この手から慈愛が滲み出て、キムチを美味しくさせるのだろう。
すべてが、白菜を労りながら、微塵も無駄にせず、おいしく食べてもらおうという工夫が込められている。
だからスニムの作るキムチは、優しいのである。
チョンクワン尼僧の寺にて