アミューズのいくらがすべての始まりであり、すべての美を表していた。
薄い生地に乗せた、デイルでマリネしたいくらとフロマージュブランの組み合わせである。
何気なくかじって目を丸くした。
デイルの香りをまとったいくらは、爽やかに甘く、見事にチーズのコクに馴染み溶け込んで行く。
組み合わせと香りの妙だけではない、
いくらやフロマージュブランの量が精妙に計算されていて、それぞれが突出することなく、均整美に富んでいるのである。
そして次にはかぼちゃのピュレを包んだクレープである。
かぼちゃの単一的な甘さに頼らないように、ラムレーズンが散らされ、、さらには細くアンディーブが隠されていた。
その甘みや苦味が、カボチャの朴訥さをエレガントにし、ほうじ茶のパウダーの香ばしさが、皿を華やかにする。
珍しいものは何一つ使っていない。
だが、この組み合わせはなんだろう。
バランスの良さと調和はどうしたことだろう。
色々な要素を入れながら、何一つ突出せずに、丸くまとめるセンスはどこから来るのだろう。
まだ31歳の若さだというのに。
アワビと柿。リードヴォーとイースト。フォアグラと発酵メロン、小鴨と行者ニンニク、和牛モツとティムール。揚げパンとみかん。
驚きの出会いがその後も次々と繰り出される。
まだ店を持たない児玉智也シェフの未来に、胸が疼いた夜だった。
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