小野二郎さんの寿司を、一言で語ることはできない。
しかし恐れを承知で、感じるままに一言で表すとしたら、それは「エレガント」である。
寡黙な中に品を漂わせる優美な寿司は、エレガントで、色気を伴っている。
なぜ優美な色気を感じるかといえば、すし種と酢飯に、命の鳴動があるからである。
例えばもう終わりを迎える鳥貝を食べたとしよう。
上の唇にひんやり、つるりと鳥貝が触れる。
下の唇を過ぎて、舌の上に人肌の酢飯がのる。
力を入れれば、上の歯が鳥貝を噛み切る。
分厚い鳥貝に歯が入っていき、ほの甘い鳥貝のエキスがにじみ出る。
その瞬間酢飯は、はらはらと崩れていく。
酢飯と鳥貝は、舌の上でダンスを舞い、次第に少なくなって消えていく。
鳥貝は消えかかる刹那、メロンのような甘い香りを膨らませて、余韻を残し、数粒残った酢飯は、酢のうま味立ち上がらせて、鳥貝と最後の舞いを舞う。
その間は、たった20秒くらいであろう。
しかしそのわずかで、鳥貝と酢飯は意思を相通させ、手と手を取り合って、流麗なるダンスを踊るのである。
一瞬にして舌と同化して抱き合う中トロ、ピタリと酢飯と抱擁し、喉を鳴らすコハダ、豊かなウニの甘味がきて、酢飯の酸味がきて、最後に海苔の香りが追いかける、ドラマを紡ぐウニ。
爽やかな香りに酢飯の香りが寄り添って、口の中に粋な風を吹かすマグロの赤身。脂がのっていながらもどこまでも品が良く、繊維など一切ないかのようなアジ。
魚も生き、酢飯も生きている。
だからこそ、同じ酢飯なのに、甘味を感じたり、酸味を濃く感じたりする。
酢飯の生命が躍動して、それぞれの魚に最善の仕事を見せる。
「エレガント」の語源は、ラテン語でエリール(elire)、エルグレ(eligereと言われている。
「注意深く丁寧に選ぶ」、強いては「選択する」という意味だという。
揺るぎのない自信と軸の中で、現状に決して満足せずに、常に自分にとってベストな選択をし続ける。
そうしてきたからこそ、91歳の職人が握る寿司は、限りなくエレガントなのである。
一言で語ることはできない
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