シリーズ “食べる人”
きれいな人だった。
33歳くらいだろうか。
21時の地下鉄で、目の前に美人が座っていた。
かわいそうに、よほどお腹がすいたのだろう。
コンビニ袋から取り出したのは“超熟”6枚切だった。
“超熟”の袋を開けると、パンを袋の中でちぎって食べ始めた。
うむ。素のままでは口内の水分が吸収されてしまいそうだが、ここは残念ながら車内である
バターもハムもない。
トースターを貸してあげることもできない。
千切っては食べ、千切っては食べ、一枚を食べ終えて、ハンカチで口を拭う。
車両内で、美人が、“超熟”を食べる姿は異様だが、どこか自然でもある。
何度も彼女はやっているのだろうか。
踊りの名人のように動作がよどみなく、きれいである。
二枚目もいった。
真っ赤なマニュキアを塗った細い指ですっと千切り、口に運ぶ。
悪びれる感じがない。恥ずかしさもない。
かといって堂々という感じでもない。
ひっそり静かに食べている。
やがて対面のこちらにも、“超熟”の香りが漂ってきた。
しかしなぜ菓子パンや調理パン、サンドイッチではなく、超熟なのか。
お好きなんだろうな。
なら三枚目いくか? いや食べないようである。
スマホを見ている。
しかし、再び“超熟”の袋を開いた。
中をのぞいて何か考えている。
もう一枚食べるかどうか悩んでいる。
“超熟”だけに熟考である。
だが僕は、熟考の結果を知ることはできない。
無念なことに、電車を降りなくてはいけない。
ホームに立ち彼女を見た。
後姿も美しい彼女が、パンの袋を見ながら固まっている。
「じっくり考えな」。そういって過ぎ去る電車を見送った。
シリーズ “食べる人”
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