サンドウィッチ症候群

食べ歩き ,

目の前にパンと食材があると、どうあっても挟みたくなる。
ドアに挟まれたくはないし、満員電車で人を挟むのも嫌だ。
具を包まないで挟んだ、サンドウィッチ風おにぎりは嫌いだし、「ホームアローン」のケヴィン君のように、両手で頬を挟むクセもない。
転倒した家具やロッカーには挟まれたくないし、できることなら重機にも挟まれたくない。
一、二塁間に挟まれることは勘弁だし、複数の意見や立場の人に挟まれ、どちらの意見にも賛同できず、板挟みになることも避けたい。
しかしパンと食材、パンと料理を目の前にすると、挟みたくて、挟みたくて、いてもたってもいられなくなるのはどうしてだろう。
人はこれを、「サンドウィッチ症候群」と呼ぶ。
中学生の頃、鮭缶とマヨネーズ、胡瓜と玉ねぎを挟んだサンドウィッチが好きで、母にお願いして、昼弁当にしてもらったことがある。
昼時にワクワクしながら食べてみると、どうも違う。
胡瓜と玉ねぎがしなり、マヨネーズがパンに染みて、作り立てのおいしさはなかった。
そこでまた母にお願いして、ターっパーに刻み胡瓜と玉ねぎを入れてもらい、鮭缶とマヨネーズ持参で学校に行った。
昼ごはん時、鮭缶を開け、タッパーに移す。
混ぜてからマヨネーズを入れて混ぜ、何度も味見しながらマヨネーズ量を調整し、パンに挟んでガブリとやった。
その行動を一部始終見ていた先生から
「お前は学校に何しにきてんだ」と、半ば呆れ顔で言われた。
あれがもし、「面白いことやっているね、料理が好きなんだ」と、褒められていたら、料理人になっていたかもしれない。
 
今朝も旧京都市庁舎のカフェで、モーニングセットをいただいた。
運ばれてきた料理を見て、とっさに調理過程が浮かぶ。
サラダを半分ほど食べ、レタス、サラミ、トマトをバターが塗られた面に置き、挟んで食べる。
次にソーセージの油気を紙ナプキンで拭い、レタスとソーセージを挟んで(これはバター面を表側にして)食べる。
目玉焼きは挟まない。
オレンジジュースも挟まない。
最後は主役である。
バターが塗られ面にポテトサラダを置き。均一にナイフで伸ばし、挟んで食べた。
その時の幸福感と言ったら、他にない。
なんで挟むだけでこんなにおいしいのだろう?
サンドウィッチ症候群の男は、一人考えながら朝食を終えた。
京都「ハウス1904」にて