コロッケそばの考察。

食べ歩き ,

一体誰が、温かいかけそばに、コロッケを乗せようと思いついたのか?

「コロッケも天ぷらと同じ揚げもんだし、のせたれ」。

コロッケをのせるという蛮行は、たった一人のそんな思い付きから始まったのかもしれない。

食べてみたら、ケッコウいけていて、

「俺って天才かあ」と、一人酔ってしまったのだろう。

ベシャメルソースとハムなどをまとめて揚げた「クロケット」としてフランスに生まれ、日本で姿を変え、「今日もコロッケ、明日もコロッケ」と歌われた彼は、まさか自分がかけそばの上にのせられようとは、夢ににも思わなかったに違いない。

数奇な人生である。

 

発想は時として、単純であるから、

「俺、コロッケとそばの両方が好き。合体させたら・・・ムフフフ」。ってことか、

「天ぷら揚げようとして、コロッケ揚げちまった」。というおバカな奴かもしれない。

もしくは

「コロッケ買って来たけどソースがなく、仕方なくめんつゆかけたらうまかった」

「そば屋」の隣がたまたま肉屋でコロッケがあり、まかないとしてみたら美味しかったという説もある。

あるいは「コロッケ振興協会の陰謀」、「北海道ジャガイモ生産者組合の策略」という噂もある(らしい)。

 

とにもかくにもコロッケそばは誕生し(発祥は神奈川県らしい)、立ち食いそば屋の定番となった。

と書いてみたが、果たして定番なのか。

立ち食いそば屋で食べている奴をあまり見かけない。

立ち食い蕎麦屋によくいく方でも「俺はコロッケそばは食べない」という意見を多く聞く。

では、バットに山と積まれたあのコロッケは、どこにいくのだろう。

 

世間には、どうやら「コロッケそばマニア」もしくは、「コロッケそば中毒」、または「全国コロッケそば振興会会員」や「路麺コロッケそば向上委員会会員」という人種がいて、彼らを中心にして、重点的に消費されるらしい。

 

僕の友人もそんな一人だった。

ある日二人で立ち食いそば屋に入った。

「わかめ天ぷらそば」と、ボク即断したが、彼は熟考した挙句

「とろろ山かけころっけそば」。

ずいぶん変なものを頼む奴である。

やがて丼が運ばれ食べ始めた。

すると

「おい牧元、お願いがあるんだけど」。

「どうした」。

「俺のコロッケをお前のそばに、一時避難させてくれないか」。

「どうした」。

「とろろとコロッケは合わないことが、いま判明した」。

今更かよと思いながら、「しかたない」と、天ぷらを端に寄せ、コロッケをのせた。

丼上は、満員電車状態である。

食べにくいことこの上ない。

それを見た彼が言う。

「おい牧元、お願いがあるんだけど」。

「どうした」。

「食べにくいことは分かっている。そこを悪いんだけど」。

「どうした」。

「俺のコロッケを丼の底に入れておいてくれないか」。

「そばの下か」。

「そうだ」。

ほうそうか。

彼は食べにくさを気遣ってくれたのかと、コロッケをもぐりこませた。

やがて食べ終わると、汁を吸い切った、しなしな、べちゃべちゃになったコロッケが丼の底から現れた。

「これどうする」。

「うん、悪いが丼ごとくれ」。

彼はどんぶりを受け取ると、

「これこれ」といって、嬉しそうに食べ始めた。

水没させられ、放置プレイにされたコロッケは、もうぐじゃぐじゃで、コロッケの体をなしていない。

彼はそれをさらに崩し、めんつゆと混ぜながら、一緒に啜りこんだ。

食べ終え、陶然とした表情で一言

「ああ、うまかった」。

 

なんて汚い食べ方をするやつだと思いながらも、内心うまそうだなあと、思った。

考えてみたまえ。

立ち食い蕎麦屋のコロッケは、揚げたてではない。

玉ねぎやひき肉の味もしない。

じゃがいもと小麦粉の差別がない。

「いちおうコロッケの形はしていますけど」といった、自己主張がないコロッケである。

しかもすぐ崩れないように、固くしまっている。

だからこそこの食べ方が正解なのである。

 

以来僕は、コロッケそばを食べるときは、一旦底に沈める。

そして自分がコロッケそばを頼んだことを、一旦忘れる。

食べ終わりになると底から、忘却されていたコロッケが現れるではないか。

あたかも宝物に出会ったとような喜びが訪れる。

しかるのち、そこへ生卵を割り入れてもらい、残ったつゆと卵を混ぜ、コロッケを完膚なきまで潰してまぜ、ズズズぅと飲み干すのである。

下品の品格、ここに極めり。

良い子は、決して真似してはいけませんよ。