握りは置かれて、微かに沈むのだが、黒板に映り込んで、宙に浮いていく。
分厚く切られた鯖が、酢飯にふわりとしなだれる。
親指と人差し指でつまみ、すばやく口に運ぶ.
人肌の酢飯が、舌に優しくキスをする。
鯖は、しとしとと脂を滲ませ、酢飯と踊る。
寒さに負けじと身につけた脂は勇壮である。
しかしどこにも、これ見よがしな自己がない。
豊かで優しく、愛に満ちながら、華奢な影がある。
命の豊かさに秘めた脆弱さを認めた味なのかもしれない。
豊満でいながら華奢を忘れない。
だからこそ、ハラハラと舞い散る酢飯と踊るのだろう。
たくましい味わいなのに、手からするりと逃げていくような切なさがある。
それはとてつもなくエレガントである。
帰り際に「鯖が素晴らしかったです」と伝えると、
「いやあ、脂がのってきてよくなったねえ」と、屈託のない笑顔を浮かべられた。
半世紀を越えて握り続けていても、いまなお魚が良くなってきたことが、嬉しくてたまらないという表情である。
だからこそ、90歳の職人が握るすしは、エレガントなのである。
すきやばし次郎にて。