「餃子のうまい店を教えてやる」。
45年前、大学の先輩に連れて来られのが、「スヰートポーヅ」だった。
細長い店に入ると、お客さん全員が、餃子を黙々と食べていた。
出された餃子を見て仰天した。
襞がない。端を包んでいない。細長い。
食べて仰天した。
香ばしい皮に、うま味が染みて、噛む喜びがある。
ニンニクなしで、あっさりとして、何個でも食べられる。
あらゆる点が、今まで食べた焼餃子とは違った。
包まれていないことは、「これからの人生、既成概念に包まれるなよ」と、エールを送られているようで、胸が熱くなった。
さらに生まれて初めて「水餃子」も食べた。
つるんとして、もっちり。
唇を通り過ぎ、噛む感覚が、なんとも色っぽい。
餃子とは、唇でも食べるものだと教わったのである。
しかし学生の身分では、一番安い定食を食べることが精いっぱいで、いつか大皿定食を食べてやると誓う。
その後バイトで金を貯め、ビールを飲み、大皿定食に水餃子と包子を平らげるという散財もした。
餃子を、酢醤油一味や辛子醤油で食べる渋さも覚えた。
餃子の皮は、すべて手作りだった。
皮と餡は、朝七時から仕込む。
包まないのは、鉄板に流れ出たアンのうま味を、皮に染みこませるためだった。
昭和十一年開業以来、祖父、父、息子と三代に渡り、毎日変わらぬ味を作り続けてきた。
80年近く、変わらぬおいしさを提供するのは、並大抵なことではない。
餃子だけではなく、サービスのお母さんにも、多くのファンがいた。
「毎日いろんな人が来て、餃子を食べてもらえるので楽しいです」と、嬉しそうに笑われた顔は、今でも忘れない。
包んでいない餃子は、きっと多くの人に分け隔てなく、楽しんでもらいたいという愛の姿であったのだろう。
だから食べると、そっと心が温まった。
それは我々に、「包まない寛容」を教えてくれたのである。
お世話になりました。
ありがとうございました。
閉店