一口飲んで、押し黙った。
汁が、舌や上顎や、喉の細胞にするっと染み込んで、滋養が体の隅々まで染み渡っていく。
今まで、数多くの潮汁を飲んできた。
だがこんな潮汁には、出会ったことがない。
「最初作った時はうまく出来たんです。しかしそれからが大変でした。3年経っても先代の味にならない。失敗の連続です。5年で10回の内、ようやく1回出来る程度で、7年経っても少しも進歩しない。もう料理人をやめようかとも思いました。先代も何も言わないし、教えない。しかしそのとき、色々考えるのはよそう。過去の失敗も成功も、鯛の質も季節も考えず、ただただアクをひくことと火加減だけに集中しよう。そう思い始めてからうまくいくようになりました.なんとか出来るようになるまで、10年かかりました」。
60代半ばになる二代目が、訥々と語った。
昆布は使わない。柚子香にも逃げない。
水と酒と塩だけ作られた潮汁は、どこまでも清い。
香りにも味にも、汚れが一切無い。
鯛の、純なうま味だけを引き出して、いまここにある。
それは命の脆弱さと凛々しさを含んだ、無常の味わいだ。
飲む度に、涙がにじみ、肌がざわめく、至上の感動だ。
大阪「つる家」で修行され、若くして認められ、養子に誘われたという初代の才を、粛々と実直に受け継ぐ職人が、鹿児島にいた。
これは、現代の割烹が失った、一つの品かもしれない。
最後に潮汁で作った雑炊をいただきながら、そんなことを考えた.
雑炊もまた、米の煮え加減が、これ以上でも以下でもなく、恐ろしくなるほどピタリと決まって、心を震えさせるのであった。
鹿児島「山映」にて。