「餃子のうまい店を教えてやる」。
大学の先輩に連れて来られのが、「スヰートポーヅ」だった。
細長い店では、お客さん全員が餃子を頼み、黙々と食べていた。
出された餃子を見て仰天した。
襞がない。
端を包んでいない。
細長い。
食べて仰天した。
皮が香ばしく、かつ肉汁が染みていて、噛む喜びがある。
にんにくが入っていない。あっさりとして後を引き、何個でも食べられる。
あらゆる点が、今まで食べた焼き餃子とは違っていた。
包まれていない餃子は、「社会人んになっても、自由に。世間の既成概念に包まれるな」と、諭しているようで、胸が熱くなった。
さらに生まれて初めて「水餃子」も食べた。
つるんとして、もっちり。
唇を通り過ぎ、噛む感覚が、なんとも色っぽい。
餃子とは、唇でも食べるものだと教わったのである。
しかし学生の身分では、一番安い定食を食べることが精いっぱいで、いつか大皿定食を食べてやると誓った。
その後バイトでためた金で、ビールを飲み、大皿定食と水餃子と包子を平らげるという、贅沢もした。
餃子を、辛子醤油で食べることも覚えた。
ビールと餃子をやり、幾度幸せな気分で、古本屋めぐりをしたことか。
お世話になりました。
餃子の皮は、すべて手作りだという。
包んでいないのは、アンのうま味が出て鉄板に焼きつき、皮に味が染みこませるためだという。
餃子だけではない。
サービスのお母さんにも、多くのファンがいる。
彼女は、「毎日いろんな人が来るので楽しいです」と、屈託のない笑顔で笑った。
包まない餃子は、多くの人に分け隔てなく、楽しんでもらいたいという愛の姿なのである。
そして「包まない寛容」という愛があることを、我々に教えてくれるのである。
2020年閉店