食べ歩き , 隠れ家 ,

「隠れ家紀行」の連載を始めた八年前、隠れ家は世にも希な存在だった。

人知れずという表現のままに、闇に潜み、一部の人だけの楽しみだった。

お客は常連かその連れ。

店もいたってのんびりと営んでいて、一晩に一組という日もあった。

隠れ家自体の数が少ないので、連載が続くのも、おそらく三年が精一杯だろうなと考えていた。

ところがすでに百回を越え、九十軒以上もの店を紹介してしまった。

今後もまだ四十七軒のストックがあり、次々と新しい店の報告が届く。

こんなに多いと、もはや隠れ家ではない。 

一区に一軒、一駅に一軒隠れ家があるという勘定で、希少価値が薄れてきているのは事実である。

しかし隠れ家は効く。

なにに効くかと言うと、人を動揺させるのに効く。

動揺すると判断が鈍るので、契約を決めたいときの接待にも、恋愛にも大いに使える。

ここで隠れ家の定義をおさらいしたい。

1.看板表札の類いが一切表に出ていない。 

2.飲食店や一般店舗もない住宅街にある。 

3.最寄り駅やバス亭より徒歩二十分以上、畑や森、住宅街に佇む。

4.だれも気づかないような細い路地の奥で、ひっそりと営んでいる。

5.看板や表札は一応出ているものの、おそろしく小さいか、象形文字などを使って判読不能にしている。

6.以上の条件を複数備えた完全無欠型。 

要するに、店は「入るな」といっているわけである。

知ってる人だけ来てくればいいといっているわけである。

八年前に紹介した店は、初台「ツウァイ・ヘルツェン」、早稲田「頑固ラーメン」(移転)、新宿「ジョン・ダワー」(閉店)、小松「弥助鮨」(移転)、入谷「鍵屋」、中野「広重」(閉店)、蒲田「河童亭」、名古屋「岡ちゃん」(閉店)、参宮橋「ロス・レイエス・マーゴス」、神戸「千代」、原宿「ブルーミン・バー」、京都「有楽」、博多「名前のないバー」(閉店)といった店である。

バーの二軒をのぞけば、いずれも隠れ家的効果をねらって作った店はなく、立地的問題や経済的など、諸般の事情でたまたま隠れ家になってしまった店である。

立地も佇まいも営業的には不利であり、細々とご主人の意志と熱意だけで営んでいるような店であるから、長くは続かずに閉店を余儀なくされる店も出てくるのである。

ところが最近の事情は違う。

あえて最初から、隠れ家効果をねらって出店する店が増えたのだ。

まず考えられるのは、外食産業の成熟であろう。

不況だといいながら、不況のあおりを受けていない人々は、日増しにエンゲル係数を高め、積極的にレストランでの食事に投資するようになってきた。

こんなに出来て大丈夫なのかしらんと思うほど、新店のラッシュが続く。

すると店側は差別化を計るべく、隠れ家というコンセプトを取るのだ。

お客もレストランに行き慣れているので、より非日常な感覚を求めている。

そんな時代の空気を呼んで、レストラン開発マーケッターは隠れ家を選択するというわけだ。

このケースは玉石混合である。

ただしバーは、昔から隠れ家的効果を狙った店が多かったので、おもしろい店が増えてきた。

もう一つのケースは、ご主人が自らの料理の才に強い信念がある場合。フリの客が入らない場所、料理に没頭できる閑静な場所、自分の料理を愛してくれる人たちがわざわざ足を運んできてくれる場所を選ぶ場合だ。

こうした店は面白い。

客の感性を刺激し、忘れぬ夜を与えてくれる。

隠れ家の増加は、こうした店を生んだのである。

以前ならいくら強い信念があっても、隠れ家はなかなか選択しなかったろう。

次回には、その代表的な店を紹介したい