<シリーズ食べる人>タンメン編
東中野の「十番」では、客の全員がタンメンを食べていた。
①後ろの席のおっさんは、大盛りタンメンを頼み、運ばれるなり鬼の形相で、これでもかとコショウをふりかけている。
何か辛いことでも、あったのだろうか。
②隣りの40代女性一人客は、玉子タンメンを頼んだ。
運ばれるとまずそのまま食べ、辣油を適時2、3滴かけては食べている。
しかし辣油はスープに溶かない。
辣油が浮いたスープだけを器用にレンゲですくって飲んでは、その勢いで麺をすする。
最後までスープは汚さない、“スープ純血主義”なのだろう。
その徹底した姿勢は、玉子の食べ方にも貫かれていた。
玉子は普通つぶして、スープと混ざり合った味を楽しむ人が多いが、彼女は中盤になって玉子だけをレンゲに乗せ、ツルンと一口で食べたかと思うとその勢いで、スープを飲んだ。
そして最後の一滴まで、澄み渡ったスープを飲み干したのである。
お見事。
出来れば、立ち上がって拍手をしたかった。
③後から隣に座った20代後半のお兄ちゃんは、「タンメン、麺大盛りかため、にんにく多目で」と言い放ち、厨房の二代目にウィンクをした。
にんにく? このタンメンに、ニンニクは入っていない。
それなのに、にんにくか。
やるなお主。
麺を大盛りにすると最後は伸びるから、かためで注文か。
やるなお主。
お兄ちゃんを再び見ると、どこか誇らしげな表情を浮かべているではないか。
だが、その隣の女性に、目が吸い寄せられた。
④20代後半の清楚な女性一人である。
吉田羊に似ている。
美人だが、誰にもおもねることなき自己がにじみ出ている。
タンメンを食べるというのに、白いブラウスは気になるが。
髪を後ろで束ね、タンメンを静かに待っている。
タンメンが運ばれると、空の小鉢を別に頼んで、脇に置いた。
あれはなにをするのだろうか?
猫舌で麺を冷ますのだろうか?
彼女はその小鉢に、辣油を大量に注いだのである。
麺をからめるのか? と思ったがからめない。
小鉢を脇に置いて放置したまま、普通に平然と食べている。
中盤で、ついに動いた。
タンメンの具から肉を一片つまむと、それを小鉢の辣油に万遍なく浸けたのである。
“豚肉の辣油ヅケ”である。
彼女は、小鉢を見ながら、ふっと微笑むと、肉ヅケをレンゲの底に置き、その上に麺をのせてすすった。
あえて名をつけるなら「豚肉辣油ヅケ和え麺」である。
次に、スープを少しレンゲに入れ、肉ヅケをのせて食べ、すかさず丼の方の麺をすすった。
「先行肉ヅケ追い麺」である。
さらにスープを少しレンゲに入れると、麺を数本のせ、上に肉ヅケをのせ、食べた。
高度な技である。
これは「握り寿司」であろう。
次はレンゲに肉付けを乗せ、麺をのせ、さらに肉ヅケをのせ食べ、スープをすすった。
「ミルフィーユ」である。
よく観察していると、レンゲの底に残った辣油の残滓は、彼女の舌と唇によってきれいに拭われているのだろう。
スープにレンゲが入っても、一滴も赤い色は混ざらない。
やられた。
すでに食べ終わっていた僕は真似すらできない。
なにもせずに、ただタンメンを食べるだけで満足していた僕は、すっかり落ち込んで店を後にした。