<機内食シリーズ第五弾>

<機内食シリーズ第五弾>
飛行機の搭乗はドラマである。
ただし課題は機内食にある。
自分で選ぶわけではない、一方的に組み立てられた料理には、ドラマがない。
これをいかにドラマ化するかが、課題なのである。
あてがわれた食事を、漫然と食べてはいけない。
機内食に配された役者たちを、いかに躍動させるか、構成力と指導力が試される。
事前の準備という手段も、一案だろう。
ケチャップ、醤油、マヨネーズの小袋を用意し、黒七味、柚子胡椒、ゴマ、カレー粉などを帯同することも考えられよう。
しかしそれはやり過ぎである。
旅の目的は、機内食を食べることではない。機内にある限られたもので、演出を図る努力をすべきではないかと考える。
まずは白ワインと赤ワインを頼み、カクテルに使うレモンの薄切りを、1~2枚もらっておこう。
そして、配膳された食事をよくよく観察する。
前菜は、千切られたレタスの上に乗る、4匹の小海老。
主菜は、定番の鶏グリルのトマトソース風味、バターライス添え。
脇にはジャガイモといんげんの茹でたもの。
そしてロールパン。
玉葱の薄切りと小さくキューブ状に切られた人参が浮かぶ、コンソメスープ。
よし、それでは前菜からとりかろう。
まさか生まれた時には、雲の上で一生を終えるとは思わなかった海老たちは、元気がなく、食べなくとも、容易に汁気と味気のない肉体が想像できる。
一方レタスの方は、なんとかみずみずしさを保っているようである。
ドレッシングの容器を開け、味を確かめる。ドレッシングにレモンを少し絞りいれ、塩ほんの少し、白ワインを入れ、よくよく混ぜる。
百年前に捕られて、冷凍庫で眠り続けていた海老は、往時の赤色を失い、すっかり白けている。
こいつを取り出し、ドレッシングを少しずつかけ、味を見ながらレタスにもまんべんなくからみつける。
もし、箸があるなら、それで作業した方がいいだろう。
さらに鶏を少しだけ細かく切り、レタスサラダにのせ、前菜は完成した。
さあ鶏はどうしよう。
グリルと書かれていたが、どこにも焦げ目がついていない。
さっき前菜用に切った断面は、肉汁をどこかに置き忘れましたと言っている。
鶏も、自分の肉体を自慢できずに、肩身が狭く、ずいぶんと恥じているようで、縮こまっている。
ここはパンにつくバターの出番である。
鶏の表面に、まんべんなくバターを塗ってみる。
どうだ。
艶やかに輝く鶏肉が現れ、鶏も自尊心を取り戻したようである。
さらに赤ワインをソースに一たらし、ほんの香りづけ。
食べる際には、鶏を切るごとに黒胡椒をかけ、赤ワインと出会わせる。
バターライスは、恐らく作った人が独立心旺盛なのだろう。
米が一粒ずつ分離独立していて、フォークや箸では、到底食べることができない。
ここで先ほどの海老を出動させる。
海老を細かく切って、ご飯に混ぜる。
さらにスープの浮き身も混ぜる。
次にスープを垂らし、バターの小片ともに混ぜ、しばらく蒸らしておく。
バターライスは、食べる際にレモンを少し絞ってもいい。
問題は、かつてジャガイモやインゲンであったと思われる野菜たちである。
完膚なきまで柔らかくされたインゲンも、味が抜けたジャガイモも、復旧のめどがつかない。
決方法は二つ。
食べないか、食べても記憶から消し去るかである。
生き生きとした酸味が加わったレタスサラダを、白ワインの溌剌とした酸味で楽しもう。
鶏に黒胡椒をはらりとかけ、赤ワインの香りするトマトソースをからめ、噛みしめて、若い赤ワインの爽やかな飲み口と、しなやかなタンニンを合わせる。
その合間に、バターライスをほおばる。スープを飲む。
うん。
大分幸せになってきた(ほろ酔いのせいもある)。
だが、ここで調子に乗って食べすぎてはいけない。
あくまでワインの肴と捉え、完食は目指さない。
さあ次の課題は、デザートである。
機内食のデザートは、大抵意味不明のケーキである。
例えばチョコレートのスポンジに、赤い色のゼリーが挟まれ、クリームがたっぷりとかかった上に、イチゴが横たわるケーキ。
「いったい私に、なにをしろというんだ!」とは叫ばずに、冷静に考よう。
もしブランデーがもらえるなら、スポンジにたっぷりかける。
ゼリーは排除し、クリームは少量に減らし、ブランデーケーキと偽りながら楽しむ。
ブランデーが入手できない場合は、パンにバターを少し塗り、イチゴとクリームを挟んで、簡易イチゴクリームパンとして、洒落てみるのもいいだろう。
果物が添えられた時は、そのままでもいいが、白ワインに浸け込んで、しばらく置いておくという手もある。
また、少し切って漬けると、エキスがにじみ出ていい。
実際やったことがあるが、美しい客室乗務員から、「おいしそうな食べ方ですね」と持ち上げられ、いい気になり、その後の会話が弾んだ経験もある。
機内食でのドラマ作りは、こうした、別のドラマが生まれる可能性があることである。
それゆえ私の夢は、世界初の機内食評論家として、世界中を飛び回ることである。