<ペアリング>

<ペアリング>

 

最近のレストランには、必ずペアリングがある。

僕は仕事の性格上、どんなペアリングをするのか確かめる必要があるので、お願いすることが多い。

しかし今のレストランは皿数が多い。

12皿や15皿が出される。

それぞれに合わせてお酒を選ぶのは大変だろう。

だが、僕の乏しい頭のキャパシティでは、12杯や15杯出されると混乱してしまう。

いまは皿数に合わせるだけでなく、ハーフやもっと少ないペアリングも用意されているので、そちらを選べばいいのだが、飲兵衛根性が邪魔して選べない。

 

先日「ロオジェ」で中本さんに、ワインをお任せした。

「お飲み物はいかがいたしますか? ワインリストご覧になりますか?」と聞かれたので

「はい、ワインリストはお願いします。でも今夜は中本さんに身をゆだねます」と答えた。すると

「身をゆだねられる。支えきれるでしょうか」。と言われたので、

「すいません。私は相当重いですからね」と答えた。

こうした会話から始まる食事は楽しい。

 

「最初は、どうなさいますか?」

「シャンパンをいただきます。あそこの氷に刺さっているものを」と、氷を敷き詰めたクーラーに何本も刺さっているシャンパンを見て笑った。

最初の一杯はこれである。

深いコクの中に優雅さを秘めた味わいが、空間に色気を灯す。

飲み進めば、グランメゾンに来ている幸せと興奮が、ゆっくりとせり上がってくる。

 

最初の玉ねぎの料理に合わせて出されたのは、この白ワインだった。

そのリースリングは、甘みと酸味のバランスが良く、1日動かし、疲れた体を優しく癒してくれる。

これも中本さんの思いやりだろう。

 

次の温かい貝の料理に用意されたのは、サントリーニ島の白ワインと日本酒だった。

酸味は少ないが、塩味のようなニュアンスと貝を合わせれば、途端に口の中に波しぶきが舞う。

一方で満寿泉を流し込めば、貝の甘みの横で酒の甘みが、そっと寄り添う。

マリアージュという合一ではなく、添い寝をしながら貝の素晴らしさを立てる。そんなペアリングだった。

聞けば、日本人に日本酒をペアリングして出すことは希なのだが、今夜はあえてとのことだった。

 

次のクエの料理には、サヴィニーレヴォーヌである。

グランメゾンとしては、お手頃だが、それもまた心意気なのだろう。

しかし、もう十二分に香りのエレガントさがあって、うっとりとさせる。

マッチョでいながら優美さも持ち合わせるクエ、グリンピースの優しい甘みが抽出されたソースとダンスを踊りながら、吹き抜けの天井に舞い上がっていく。

そんな組み合わせであった。

 

主菜はべキャスである。

合わせたワインは、これとこれである。

ううむ。やられた。

銘醸ワインながら、若々しい香りが弾ける右手のワインは、肝のペーストや土の香りがするもも肉にサルミソースをたっぷりとつけて一緒に合わせた。はは。とてもいやらしい。

べキャスの精髄がアインの妖しさを、ワインの艶がべキャスの色香を引き出している、相互の満ち引きがある。

そこには、妖艶さを増しながら、べキャスの肉も筋も骨も血もすべて飲み込んでいく勢いがあって、陶然となる、

だが一方のヴァンジョーヌと胸肉を合わせるとどうだろう。

木の実や果実食べているべキャスの肉体に宿った香りと響き合う感があり、まるで自分がべキャスとなって餌をついばんでいるような気分が訪れる。

 

チーズの時間となった。

選んだチーズに合わせて運んで来てくれたのは3本。

リボッラジャッラを使った、ナパのオレンジワインと、リオハの飲んだ時に噛みしめるような甘みが広がるワインである。

コンテに合う。ただ味わいが広がる合致するというだけでなく、コンテの持つ様々な旨みや香りがカーブして、口の中で酔うような感覚が訪れる。

これもこの素敵な空間とともに醸し出される情感なのだろう。

そしてスペインのブルーチーズにぜひといって出されたのが、ヴィンテージポートである。

申し訳ないが、このお酒とブルーチーズをを合わせたら、もうデセールはいらなくなった。

時間が永遠になって、チーズとポートの出会いを、ずっと口の中で楽しんでいたい。

そんな気分になったからである。

 

その姿を、いつもの優しい笑顔で見られている中本さんがいた。

その時に気がついた。

ペアリングとは、料理とワインの相性を引き合わせるだけでない。

空間との相性が大切なのである。

 

いやそれよりペアリングとは、それぞれのお客さんの思考や心と合わせていくことなのである。