<シリーズ食べる人>ラーメン編2

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<シリーズ食べる人>ラーメン編2
荻窪の「春木屋」の話である。
今から30数年前、荻窪ラーメンブームが巻き起こった。
いやブームというより、それは徐々に盛り上がって言ったのかもしれない。
今ほどラーメン屋がなく、ラーメン評論家もいなかった時代である。
春木屋や丸福の行列は、今では当たり前となっている人気店に並ぶという現象の先駆けなのかもしれない。
派閥は、春木屋派、丸福派、少数の丸長派と別れ、毎日、喧々諤々、論説粉粉、談論風発、侃侃諤諤と、各派が一歩も譲らず、持論を力説していた時代である。
僕は「春木屋派」に属していた。
あの煮干し感が、たまらなく好きなのである。
「丸福」は少しぬるいのと親父が怖いという理由で退け、「丸長」は、特筆すべき特徴が見出せないという理由で退けていたが、それぞれの会派は、断固として認めようとしない。
ある夜、1人で春木屋で食べていた。
すると表に車がブレーキをかけて止まった音がして、男が3人入って来た。
「すんまへん。ラーメン三つください」。
「ああ申し訳ないです。もう今日は店じまいなんです」。
「そこをなんとなりまへんか。うちら大阪から来たんですわ」。
「申し訳ないです。もう火を落としてしまったんです」。
「さよか、なら仕方ないなあ。また来ますわ」。
そう言って、男たちは寂しげに出ていった。
しばらくして、後ろの小窓がいきなり開いた。
さっきの男たちが、3人で窮屈そうに小窓から顔を覗かせ、
「すんまへん。せっかくやから、ちょっと見るだけ見させてもらってええですか』
1人の男が言う。
「ほらこれが、東京ラーメンや」
「ほんまぜんぜん違うわ」。
「これをお前らに食べさせてやろ思うたんやけどな」。
「食べたかったわあ」。
「ほら見てみい。茶色く煮しめたシナチク、そして柔そうなチャーシュー、ネギ、そして欠かせんのが海苔や」。
「ほんま海苔が入っとる。合うんかなあ」
「これがなラーメンと合うんやなあ」
「なんや、他とは違う匂いしますな」。
「わかったかお前は偉い。これが煮干しの香りや。クセになるでえ」
「あの醤油色のスープに、煮干し入れてますの?」
「そや。そのスープをな、縮れた麺が絡めながら、ツルツルっと上がってくるや」。
見事な解説である。
店の人もここまで褒められると、「窓を閉めてください」とは言えないだろう、微笑みながら見ている。
「ああ食べたかったなあ」。
「そやな、タクシー飛ばして来たもんな」。
「匂いだけでも嗅いで、少しは食べた気になったわ」。
「またにしよか」
「そやな」。
僕は言いたかった。
どんぶりを両手で抱えて、振り返り、
「よかったら一口どうぞ」と。