<シリーズ食べる人>ラーメン編
荻窪にまだ「丸福」(本家)があった時の話である。
毎日長蛇の列だった、
ある日並んでいると、後ろに並んだ初老の男に話しかけられた。
「ここのラーメン、すごい人気なんですよね」
「はい」。
「私千葉から今日結婚式で来たんですけど、せっかく東京に来たからには、一番有名なラーメンを食べようと思って」。
「そうでしたか」。
「いや、結婚式の料理って食べた気がしなくてね。だからちょうどいいなと思って。それにしても列がすごいですな。私食い物屋に並んだのは、これが初めてですわ」。
「そうでしたか」。
「ところで、ここは何を頼めばいいんですか」?
「煮卵が入った、玉子ラーメンがおいしいですよ」。
「そうですか。玉子らーめんね。あとなにか気をつけることありますか?」
「そうですねえ。必ず一人出てから戸を開けて入ること。ご主人には注文以外話しかけない。ちょっとご主人無愛想で怖い感じですから」。
「わかりました。気をつけます。あっ煮卵らーめんでしたっけ」。
「いや玉子らーめんです」。
それから男は、忘れないようにだろう。1人唱え続けていた。
「玉子らーめん。玉子らーめん。玉子らーめん」。
玉子らーめんの念仏である。
やがて僕が先に入って、普通のラーメンを頼んでいると、彼が入って来た。
いかにも顔が嬉しそうである。
座るなり、勢い良く言い放った。
「玉子ラーメンください!」
「うちはそんなものはないよ」。
間髪を入れず、御主人が、冷たく言った。
男は、咄嗟のことに、身動きが取れず、ただただ中空を見つめている。
ここのメニューは「玉子らーめん」ではなく、「玉子そば」なのであった。
僕は責任を感じ、すぐさま言った。
「あの玉子そばのことじゃないでしょうか」。
「そうか」。
ご主人はぶっきらぼうに言って、作り始めた。
男を見ると、放心状態から解放され、こちらを見てウィンクした。
食べ終えて先に出たが、気になって男を待った。
男は上気した顔で現れると、言った。
「いやあ、ありがとうございました。美味しかったなあ。千葉にはあんなラーメンはないよ」
「そうですか。よかった」。
「また、東京に来たらよります。そしてまた、玉子ラーメン頼みますっ!」
「いや玉子そば」。