鳩は、明らかにまだ、命のともしびを揺らしていて、生命の芯は静かに躍動し、エロティシズムを滲ませて、私をうろたえさせるる。
子孫を残そうという鳩のエナジーとシェフのエナジーが共鳴し、目が痛くなるほど、皿から立ち上ってくる。
ささみは、歯にしなだれて、どうしようもなくエロく、胸肉は血が流れているかのようなしなやかな加熱で、敬虔な思いをよぎらせる。
腿はたくましく、そして小さなあがきがあって、心を突く。
勇気のある、極限の塩がソースを生かし、これがフランス料理だよと食欲に囁く。
そこにセップのソテとピュレを合わせれば、秋が足音を立て、生かされている深い感謝が湧き上がる。
久々に、フランス料理のダイナミズムとエレガントを盛り込んだ皿に出会った。
鮑は、鮑は、ああ、今思い出すだけでも唾液が流れ出す。
蒸しソテーされた鮑は、噛んだ瞬間に、海の豊饒がざぶんとしぶきをあげて口を満たす。、
なんという清廉な海の香りであり、甘い滋味なのだろう。
そして緑鮮やかな肝のソースは、苦みなく、澄んだ丸いうま味だけを鮑にまとわせ、私を海の底へと引きずり込んでいく。
フランス料理のエスプリがここにある。
皿から味を外に出ようとせず、気を内へ内へと集約していく料理であり、一切の保険をかけず、食材を生のままで勝負をかけた、谷シェフの男気である。
それは、ダンディズムとエロティシズムに満ちていて、このうえのない活力と幸福を運んでくる。
納戸町「ル・マンジュ・トゥー」にて。