出来るなら鯖の味噌煮は、独り占めして食べたい。
脂が乗った鯖の滋味と味噌の甘辛さが抱き合った味で、猛然とご飯を掻き込む時も、ゆっくりとぬる燗をやる時も、一皿を人と分け合いたくはない。
なぜか一対一で向きあわないと、鯖と味噌が舌と馴染んでくれない気がするからである。
しかしいつから好きになったのだろうか。
子供の頃はカレイの煮付けと並ぶ、嫌いな魚料理の両頭だった。
「おいしい」と顔を崩す大人たちを見ながら、絶対大人になっても好きになるものか。
そう固く誓ったはずなのに、いつの間にか、無自覚に好きになっている。
昔は見た目も嫌いだった。
いかにも野暮ったく、大衆魚という印象を自ら増幅させているような姿に、いやらしさを感じてしまう。
鯖の味噌煮好きに悪い奴はいないと思わせる風潮も、納得がいかない
それがどうだろう。
今では、女の子の好物が鯖の味噌煮と聞いただけで、渡辺淳一の「化身」ではないが、心が疼き始める自分がいる。
かくしてすっかり好物となったが、いついかなる時にでも食べたい料理ではない。
暑い日や、スポーツの後、年下の女性とのデート、オペラ鑑賞後、二日酔いなんて時は似合わない。
逆に、冬の夜長の独酌、定食屋での遅い昼食、傷心の日々、くたびれた年配のママがいるスナック、下町の居酒屋なんて設定では、鯖の味噌煮以外の選択肢はない。
好物に転じて半世紀、数々の店で食べてきた。
忘れられぬは、原宿の割烹のそれで、鯖も味噌も突出せずに熟れていた。黒く、深く、丸く、清く。それは鯖の味噌煮という宇宙の、独り占めであった。