岐阜「川原町泉屋」

鮎を焼くということ。

食べ歩き ,

  • 郡上川

  • 和良川

美味しいものにたくさん出会うと、それだけ幸せは増える。
しかし同時に“知る不幸”も増えていく。
「かに吉」でズワイ蟹を食べた後は、もう他では食べられなくなった。
「柚木元」でとれたて松茸の純真を知ってしまったので、もう他では食べられないかもしれない。
そして「河原町泉屋」で鮎の塩焼きを食べてからというもの、他で食べる鮎には、ほだされなくなってしまった。
日本一の鮎焼名人だと思う泉善七さんが焼く鮎を、久しぶりに食べた。
やはり違う。

彼の焼く鮎は、皮にも身にも肝にも骨にも焼き姿にも、すべてに渡って神経がが行き届いている。

皮はただパリッと焼くのではない。
皮と皮下のわずかなコラーゲンが生きるよう、繊細に火が通されている。
そして身は、しっとりと空気を含んだかのように優しく火が入り、胴体と尻尾の味の違いが明確にわかるよう焼かれている。
肝は、その鮎が生きて来た川の滋養を表現し、骨は歯に当たることなく砕け、散っていく。
炭を片方に寄せ、頭の四面、次に尻尾の四面をじっくりと焼いていく。
さらにヒレにつける塩と、胴体につける塩も違う。
胴体へは、鮎塩をつける。
鮎塩とは、熟鮓を作るために、半年間鮎を塩漬けにするが、その鮎のエキスが染みた塩を再度煮詰めて作る塩である。
そうして今まで何万匹もの鮎を焼いて来たのだろう。
どれを焼いても微塵のブレもない。
昨夜は、川違いの鮎を食べ比べた。
郡上川は上品である。
穏やかな甘みがあって、ふわりと口の中で消えていく。
「一生穏やかな浅瀬で、のんびりと過ごしました」。
そう言っている。
一方和良川の鮎はたくましい。
身の味は濃く、余韻が長い。
肝は郡上の茶に比べて、黒に近い。
そして苦味が少なく、うまみが凝縮している。
一噛みで、燗酒が恋しくなる鮎である。
聞けば和良川は小さな川で、上流に鍾乳洞があるためミネラル分が多く、苔も黒茶色をしているのだという。
「急流に逆らいながら、旺盛に苔を食べ、生きて来ました」。
そう鮎が言っている。
こうして川違いの特質を生かすのも、泉さんの腕前である。
それは、何万匹も焼きながら、もっと美味しく焼ける方法はないかと、常に良き方法を模索してきた、執念の味である。
岐阜「川原町泉屋」のすべての料理は、後ほどタベアルキストクラブにて。