昨夜その店は、最後のディナー営業を終えた。
この先、もう料理をいただくことは叶わない。
でも悲しいなんて言わない。
それは独りよがりだと、思うから。
ぽっかり空いた空虚は、感謝の気持ちで埋めつくそう。
星のない夜空には、輝く味を散りばめよう。
頬を叩く哀愁の風には、歓喜の襟を立て、ぬくもろう。
「長い間応援していただき、斉須を理解いただき、本当にありがとうございました」。
松下支配人から別れを告げられた。
エチュベの野菜一つ一つが、拳をあげた命。
クードブッフのまぁるく、底の見えない滋味。
オマールのテリーヌの豊かさ。
キジの清楚の中に秘めた、猛々しさ。
やがらのみなぎる、生命の発露。
紫蘇と梅干しスープの、切ない別離。
真鴨と下仁田ネギの、協奏。
アオリイカとグレーブフルーツが出会った、溌剌。
カスベにかけられたシェリーヴィネガー バターソースの、麻薬的余韻。
鹿のテリーヌの、澄み渡った至純。
グリオットのソルベから滴る、豊潤な果汁。
甘鯛やヒラメの 、しとやかな色気。
赤ピーマンムースの、希薄と曖昧さ。
たくさんの味わいが、僕の味蕾に宿っている。
脳に刻まれ、心に染み渡り、明日を生きる喜びとなっている。
だから哀しくなんかない。
「自分がやっているのに、映画を見ているような気分でした」。
料理人生を振り返って、シェフは言われた。
研ぎ澄まされた精神は、得てして、自分を俯瞰するのか。
見えざる手が、しがらみや顕示欲から解き放つのか。
突き抜けた料理は、美味しさや感動を超えて、人生の意味を教えてくれる。
それがシェフの料理から教わったものです。
もうそんな料理に出会えないことは寂しいですが、僕の身体の中には、長年の感動が積もって、山となっています。
その頂は、死ぬまで輝き続けて、鼓舞してくれることでしょう。
ありがとう。ありがとう。
僕に言えるのは、それだけです。
でも口にすると涙が出てしまうので、心の中でつぶやいた。
だった一言、
「お元気で」と、別れを告げた。
ありがとうございました。
お疲れ様でした。
斉須政雄シェフ。
三田「コートドール」
魂は永遠に。
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