追悼。

日記 ,

そのブリオッシュを一口食べた瞬間、鳥肌が立った。
噛んだとたんにブリオッシュは、甘美な余韻だけを残して、何もなかったように消えてしまったのである。
今食べたパンは、夢だったのか。
最初にブリオッシュを切ってみて驚いた。
ジェノワーズよりキメが細かく、均等なのである。
こんな断面のブリオッシュは見たことがない。
焼けたパンの香ばしさが広がって、目が細くなる。
噛めば、歯がしっとりと生地にめり込み、包まれていく。
その時、ふと京都「俵屋」を思い出した。
あの敷布団に体を横たえた時に、ふんわりと包まれながら体がどこまでも沈んでいく安堵感と同じ感覚が蘇ったのである。
バターは普通の倍近く入っているというが、バターの香りは強すぎず、どこまでも優しい香りが漂う。
ほんわりと甘く、幸せが体の底からせり上がって来る。
その瞬間消えた。
噛んだと思ったパンはするりと口の中から、消え去ったのである。
あまりの感動と驚きのため、僕と同席した料理研究家は立ち尽くしたまま、無言で食べていたことを思い出す。
その後すぐに日本に持ち帰ったが、パンの命は失せていた。
やはり焼きあがって数時間後でないと、あの儚さはなくなってしまう。
それはThierry Delabreというパン職人が作る、「闇パン屋」のブリオッシュである。
店はパリの7区にある。
予約注文のみで、客は電話で数量と種類を注文をし、店まで取りに行かなければならない。
だから「闇パン屋」と呼ばれていた。
なぜ大体的にやらないかというと、その製法にある。
ブリオッシュを作るのに、バターをあらかじめ20度で24時間置いておくか、18度で48時間置いておくかして、発酵バター感を高める方法を様々試行しているらしい。
真ん中のメガネの主がThierry Delabreさんである。
僕が4年前にFBに載せた時、誰からか聞いたのか見つけてシェアし、誰かフランス語に訳してくれと書いていた。
パンをこよなく愛した変態で、彼の元には大勢のパン職人が慕って集まり、彼は分け隔てなく教えを請うたという。
しかし彼のパンは、もう食べることはできない。
あのブリオッシュは、本当の夢となってしまった。
ご冥福を祈ります。
mes Sincères condoléances à sa famille et ses enfants