「路地裏」。
私はこの言葉に弱い。
さらに「酒場」がつくと、なおさらいけない。
心拍数と血圧が上昇し、居ても立ってもいられなくなる。
わたしだけではなく、多くの人は「路地裏」の「酒場」に惹かれ、憧れる。賑やかな表通りに面した店は、日常の延長線だ。しかし一旦路地に入り込むと、非日常が忍び寄る。アナログレコードに針を落とす瞬間にも似て、路地に入る瞬間には、日常から非日常に切り替わるときめきがある。
薄暗く狭い路地裏の光景。時代に取り残された空間への概視感や安堵が沸き、都会の速度は落ち、世間の垢が剥がれ落ちてゆく。それは都市生活者たちの、ささやかな快感なのである。
また路地裏の店は、通りすがりの客がいないので、常連客が作る、心地よい趣が流れている。さらに、営業的に不利な立地条件に店を構えようというだけあって、料理に自信がある店が多い、という利点もある。
そんな路地裏の店からは、多くのことを教わった。例えば根岸の「鍵屋」に出かけたときだ。楓の厚いカウンターを占めているのはすべて独酌客で、自分の時間に浸りながら、ゆったりと酒を楽しんでいる。
隣は、三つ揃いのスーツを着た白髪のご老人。煮こごりをつまみながら、親指と人差し指で挟んだ盃を口に運ぶ姿が美しい。名人の踊りのような、淀みのない凛とした佇まいに、酒を飲んできた年月が感じられる。ふと手元を見ると、盃が違うではないか。鍵屋のぐい飲みは、底に蛇の目が描かれたものなのだが、ご老人のそれは、古伊万里風である。やがてご老人は、「お勘定してください」と、声をかけた。
するとどうだろう。ポケットから白いハンカチを取り出すと、丁寧に盃を包んで、ポケットに戻した。マイ盃なのだ。しかしその様が自然でいやみがない。いつかこんな酒徒になってやる。飲兵衛道を究めてやる。ご老人の後姿を見送りながら、胸に誓った。
方や、根津の「根津の甚八」の出来事は、八十一年頃、今の店の前、偏屈な親父が一人で切り盛りしていた時代だ。仕舞風一軒家の障子格子戸を開けると、店内は薄暗く、藍色の着流しに、きりりとたすきをかけたご主人が一人いた。
「いらっしゃいませ」。一呼吸後、声をかけられる。まずビールを頼むと、煮豆が出て、おからが出された。だが後が続かない。ご主人は黙ったままである。
今後に不安を覚えつつ、燗酒を頼もうとすると、「お風邪をひかれているのですか」と尋ねられた。当時は気管支過敏症で、風邪でもないのに咳が出た。「いいえ風邪ではないので、大丈夫です」と答えると、「その咳で酒を飲んではいけません。御代はいいですから、お帰り下さい」。「はい」。有無を言わせぬ言葉に素直に従った。表通りの店ではこうはいかない。路地裏で矜持を張って仕事をしているからこそ出る言葉だ。酒飲みも心して出かけなければならない。そう学んだ。
路地裏の酒亭では、その立地が招く快感と、飲兵衛道の心得を学ぶ快感もあるのである。