真の野生とは、どこまでも清らか

食べ歩き ,

真の野生とは、どこまでも清らかである。

雑味なく、澄んだ味わいがある。

「だからあまり手をかけずに、お出ししたいのです」

金沢の山中でジビエ料理店「つばき」を営む、小村昭義さんはそう言って、嬉しそうな顔をされた。

料理人が食材のことを語る時に、自分の子供を語るような嬉しそうな表情になる。

間違いなく、その店の料理は”おいしい”というサインである。

熊の刺身、キジのたたき、鴨とネギ、猪のスペアリブ、鹿の刺身、熊鍋。

そのすべてが、綺麗である。

もちろん血の香りはある。

だが噛めば、誰にも汚されていない孤高の品格があり、その清らかさに酔っていると、後からじわりと血が現れる。

しかしその血とて、淀みがない。

純潔なのである。

「つばき」の素晴らしきジビエ料理は別コラムを参照してください

 

つばきジビエ

胡麻豆腐

ふきのとう

自然薯

あみたけ

クマのお刺身

ひんやり  舌に乗ったクマの脂は、ふんわり消えていく。品の良き甘いかおり

キジの刺身

淡さの奥に旨み

噛んでいくとねっとり僕ってうまいよ

鹿の刺身

しなやかでほの温かく 鉄分

猛々しさより優しさ

熊鍋  甘み自然な尊い

いのしスペアリブ 油の凝縮かん

熊の心臓 後から血

鴨とネギ  綺麗  後から鉄分 かも噛んで10回。その後にネキ

ソースに

真の野生は、どこまでも清らかである。

雑味なく、澄んだ味わいがある。

「たからあまり手をかけずに、お出ししたいのです」

金沢の山中でジビエ料理店「つばき」を営む、小村昭義さんはそう言って、嬉しそうな顔をされた。

料理人が食材のことを語る時に、自分の子供を語るような嬉しそうな表情になる。

それは間違いなく、その店の料理は”おいしい”というサインである。

熊の刺身、キジのたたき、鴨とネギ、猪のスペアリブ、鹿の刺身、熊鍋。

そのすべてが、綺麗である。

もちろん血の香りはある。

だが、まず噛めば、誰にも汚されない孤高の品格があり、その清らかさに酔っていると、後からじわりと血が現れる。

しかしその血とて、淀みがない。

純潔なのである。

「つばき」の素晴らしきジビエ料理は、タベアルキスト倶楽部にて後ほど。!

熊の刺身を食べた。

薄氷となった脂は、ひんやりと舌に乗る。

その途端、脂は舌の温度で溶け始める。

するりというより、ふんわり消えていく。

舌の上が無となった時、甘い香りが立ち込める。

それは、とても獣のものとは思えない、上品な香りで、心を焦らすようにして、しばし留まっていた。

鹿の刺身を食べた。

いや正確に言えば、鹿ヒレ肉のタタキである。

歯をそっと入れると、しなやかな筋肉に包まれる。

噛むというより、ふんわりむにゅっと、歯が沈み込んでいく。

ほのかに温まった肉は、微かに鉄分を感じさせながら、口の中で舞う。

そこには微塵の猛々しさはない。

あるのは、

熊の心臓をたべた。

ソテーである。

他の動物の心臓とおなじように、シコっとした食感だか、それより柔らかく、シコッとクニュの間くらいの、歯応えといったら良いだろうか。

意外にも強靭さがなく、繊細である。

味わいも、あっさりとしている。

噛んで噛んで口から消え行く手前て、ふっと血の香りがする。

鮮度なのだろうか?  元々熊の心臓とはそういうものなのだろうか? 個体差なのだろうか?

それはわからない。

ただただ思うのは、畏れ多い味ということだ。