「“狩る“というスイッチが、山に登ると入ります」。
山深い長野で生まれ育った太田シェフは、そう言った。
「小さい頃から山の中が遊び場でした。年長者や大人達から、獲物の取り方を教わってきた。だから、蛇を見ても、虫を見ても茸を見ても、避けるよりも、“狩る”という意識がめばえます」。
軽井沢に作った店は、2026年まで満席だという。
4月から11月まで7ヶ月間だけ営業し、1日1組しかとらず、年12回しか営業しない。
料理のスタートは、13時からで、終了は1830である。
お客さんが来る日に合わせて、一週間ほど山に入り、お客さんの顔を思い浮かべながら、山菜や茸を採る。
今年の春は、雪渓によじ登りながら山菜を摂ったという。
「かなり危なく、きつかったですが、雪渓にある山菜って美味しんですよねえ」と、笑う。
なぜ12回なのかと聞けば、
「一回のお客さんのために山に入る。そして長時間かけて仕込みをし、その日を迎える。もうへとへとでそれがせいっぱいなのです」と、笑いながらいう。
「でも山に入っていて思うのです。採りすぎはいけない。来年もその来年も山菜やキノコが繁殖していくには、採りすぎはいけない、だから年12回くらいの量がちょうどいいと思うんです」。
「また山菜やキノコのためでけではない、例えば曲がり竹はクマの好物で、採りすぎるとクマもブチ切れてやられてしまう」。
自然に間借りしている人間が、少しだけお裾分けをもらうということなのだろう。
「今回も皆さんの顔を思い浮かべながら、山に入りました」。
そうして採った野草やキノコ、肉類は、料理され、12皿の料理となって運ばれる。
「以前を食材を前にして、イタリア料理に落とし込まなくてはいけない、ペルー料理に落とし込まなくてはいけない。そう思いましたが、今はもうやめました。野草やキノコ、野菜、肉や魚を前にして、どうしたらこれらを素直に活かせるのかと考えて作っています」。
また太田さんは、限界部落の生産者が継続し、ゆくゆくは若者が戻るためのこともやられている。
ここには「思う心」があった。
自然を、環境を思いやる心。
食材を思いやる心。
生産者を思いやる心。
料理を思いやる心。
人を思いやる心。
五つの思いやる心が織りなして、料理が完成する。
その料理は、独りよがりでも他人よがりでもなく、自然に近づこうとする恐れと敬意に満ち溢れ、限りなく汚れがない。
すっと舌に馴染み、静かに体中の細胞へと染み渡っていく。
ここには、そんな「真の贅沢」が息づいていた。
軽井沢太田シェフの料理は 別コラムを参照してください