突然、突如として、焼き鳥が食べたくなる日がある。
焼き鳥日和というのだろうか、特に暑い日が続くと、無性に食べたくなる。
すでに頭の中では、むっちりとした肉に齧りつき、口の中に熱い肉汁をしたたらせている。そこにすかさず、冷たいビール。
ああ、食べたい。
大体焼き鳥は、タレの香りがずるい。
店頭から漂ってくると、ほかに用事があるのに、「2~3本食べてから行ってもいいんじゃないの」と、誰かが耳元でささやくのだ。
誘惑に負け、店に入る。まず頼むのは「もも」だ。
ぐっと歯を立てると、肉にめり込んで、鳥の滋味が溢れ出す。
「あはは」。思わず笑い出したくなる。
ももは、焼き鳥界の女王である。もし総選挙があったら、一位当選は間違いない。
元々焼き鳥屋では、葱を挟まず、皮をつけないもも肉を、「正肉」と呼んだ。
鶏肉が高級であったころからの名残りだが、正真正銘肉だけだよという、焼き鳥屋の「プライド」を示すタネなのだ。
ももは、肉感的なたくましさを持ちながら、優しい包容力もある。
そう、ももは、生活力に富み、良く笑う、母性豊かな女性なのだ。
そんなももを、存分に堪能したら、お次は「皮」だ。
皮は、焼き鳥屋の「技」を示すタネである。
外側はカリッと、内側は適度に脂を落としてふんわりと。
そうして焼かれた皮は色っぽい。
皮側を舌側にして噛む。「カリリ」と音が響き、香ばしさが抜け、甘い脂が流れ出る。
むむ。その瞬間が色っぽい。
なにかこう、しなやかな素振りで男を魅了する女性のように、男心をちくりとくすぐる。
そのせいだろうか、皮というのは1本で我慢することが、中々できない。
そこをなんとか、もう1本への誘いを断ち切れたら、お次は「つくね」といこう。
つくねは焼き鳥屋の「心意気」を示すタネである。
挽肉料理はごまかしがきく。そこを踏まえ、適した肉の部位を自分で叩き、生から焼く。
うまくなれうまくなれと念じながら、こね、焼くのだ。
心意気が詰まったつくねは、口の中でほろりと崩れ、肉の香りとほの甘いうま味を滲ませる。
そんなつくねは、しみじみとうまいものだ。
良妻賢母と言おうか、表には見えないこまごまとした気遣いが、心を穏やかにさせてくれる。
もも、皮、つくね。
これぞ焼き鳥、三種の神器。
さあ今夜は、どこで食べようかな。